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榊原烋一 【サカスト】 |
1月26日から杉並区立和田中学校での講座「夜のスペシャル」なるものが始まった。ここの校長は皆さんよくご存知のとおり、商社マンから公立中学校校長になったことで有名ないわゆる民間校長と言われる方である。
民間人が校長になることはそんなに大騒ぎすることでもないし、そういう存在がもっと増えてもいいとかねてから【サカスト】筆者は考えていたから、この藤原さんのやることには期待もしていた。案の定、普通の校長さんがたの考えつかないような授業を自ら実践してみたりと、それなりの成果を上げつつあるような気がしている。
しかし今回の通称「夜スペ」(なんだか民放テレビの深夜番組みたいな名前だ)については、私個人としてはあまり賛成出来ない。内容は都立の進学重点校とか私立難関高校を希望する2年生の生徒に、学習塾の先生に来てもらって校舎を開放し、今のところ月、水、金の午後7時からは国語と数学を、土曜日には英語を加えた3教科を教えるという。
外部の一般の塾に行くよりも安いそうだが、それでも参加者たちは月に1万8千円から2万4千円の月謝が必要になる。この点が東京都の教育委員会から問題視され、経済的な負担の問題、講座前のテストで希望したからといって必ずしも参加出来ない場合もあるなど「義務教育の機会均等」に反するとの理由でストップをかけられた。
ところが学校側や父母側、そして杉並区教育委員会から、運営の主体はあくまでも保護者を中心とする地域本部の自主的な取り組みであること、学校とは関係なく運営されること、などの意見が出され、東京都教育委員会もしぶしぶながらゴーサインを出したものと言われる。
まっさきに反対した都教委が急に弱腰になったのは、実はこんな事情があったからではないか。この夜スペ開設のニュースが流れたとたん、都教委はただちに反応して上記の理由でストップをかけた。ところがこれを知ったマスコミが石原都知事にぶら下がってこの問題に対する見解を質問したところ、知事はいとも簡単に「ああいいんじゃないの、勉強のできる子を伸ばしてやるんだから」と答えたのだ。
教育委員会は表面的には知事部局からは独立した行政委員会ではあるが、委員さんこそいちおう学識経験者と通称呼ばれる人を並べているが、事務局は所詮都の役人、都知事があっさり了承したものをひっくり返す訳にも行かず許可せざるを得なかった、というところが本音ではないのか。
たしかに幼稚園に入園するためにだって予備塾があるくらいの世の中、多少でも安い金で受験準備が出来る、しかも毎日通っている学校の校舎で友人と一緒に、だから生徒、保護者からの評判は今のところ良好らしい。けれどもこのことは今後の日本の義務教育の在り方を本当に熟考した上での開設だったのだろうか。もしそれが、一つの学校が校長のアイデアを受けて真剣に考えた結果であったとしても、すぐに形だけ真似する学校ないしは地方自治体が出て来ることは予想がつく。
和田中学校の藤原校長は、そんな主体性のない教育の在り方こそが問題と言うかもしれないが、悲しいかな、それが日本の教育者、保護者、地方自治体の現状なのだ。一つの学校で許されたとなれば、次から次へと亜流が続出し、結果的に経済的に余裕のない家庭の子どもは教育の機会を次第にせばめられてしまう。
私はこれが義務教育の場だから心配しているのだ。日本の場合、9年間の義務教育はその名のとおり国、地方自治体、そして両親が子どもに教育を受けさせる義務を負っているのだ。子どもの側から言えば教育を受ける権利をもっているとも言えよう。そしてその権利は平等に与えられていなければならない。
この際誤解のないようにしておきたいことは、子どもの能力が平等だと言っているのではなく、教育を受ける権利が平等だと言うことである。そこに経済の論理が入ってはいけない。もちろん最近の日本の現状では、金の力があったからこそ有名大学に入れた、という現実はあるはずだ。しかし、有名大学を出たからと言って一生の幸福が約束されたと言うものではあるまい。
義務教育、すなわち小学校、中学校の9年間はやはりそれを受け持つ教師が絶対に責任をもって指導するべきであろう。もちろん頭脳的に優れた子、劣った子がいることは当然だが、それも校内で工夫すればカバー出来ないことではない。たとえば教科によって能力別にクラスを編成することも可能だ。(この能力別という語も差別だという人間がいて、習熟度別なんて言い換えをしたこともあったな)。
さて、この講座開設後生徒が「塾の先生の教え方のほうがよく分る」という感想が出てきたそうだ。
実はこの学校の校長の本当のねらいはここにあったのでは?つまり「うかうかしてると子どもたちから先生の実力を見抜かれますよ」ということを教師に伝えたかったのかも。しかし学校の先生が子どもからバカにされるような状況を作ることは決して子どものためにならないのだ。教師の研修はそれなりに別の方法を講じるべき問題だ。
親とか教師はどこかで子どもの尊敬に値するところがあればこそ現世代の知恵を次世代に引き継ぐことが可能になるのだ。金まで使ってその結果、子どもが教師を批判するような機会を作り出すかもしれないという危険性をも感じるから、学校を使用してのこの試みにはやはり賛成出来ない。
最近公立学校の復権のためと称して、中高一貫教育の公立校を増やす傾向が見える。これにも大きな疑問をもっている。現行の学校教育法規の中では中学校はあくまで義務教育であり、高等学校は希望制なのだ。公立の学校でその二つを結び付けてしまってよいのだろうか。そこにどんな屁理屈をつけようが、目的は大学進学の実績を上げようとの魂胆があることは明白だ。
公立校は国民の税金で運営しているのだから当然授業料が安い。となればここにはたくさんの小学生が受験しにくる。もちろん全員受け入れる訳には行かない。となれば義務教育の公立中学校の段階ですでに篩い分けが行われて行くのだ。教育の機会均等の理念から言えば大問題ではないだろうか。私立学校の場合にはあるていどその学校の教育方針に納得した上での受験だから意味がまったく違う。
これとは別に小中一貫校の動きがあるがこちらは賛成だ。現に東京では品川区や三鷹市でも実験的な試みが始まっている。これは義務教育の9年間を現状のように6と3とに分けるだけではなく、小中を連続してその中で4、3、2と分けたり3、3、3として分ける試みである。最近のように学問の領域が広がって行く時代には、これまでのような全教科をいつまでも一人で教えることは困難で、教科によっては早い段階で専門教科の先生に教わるほうが効果的だとも言える。
あれこれ飛んでしまったが、結論として、教育をその場の思い付きのようにいじり回すことは絶対反対で、机上論より先に、教育には国家としてもっとお金をかける必要があること、かければかけただけの効果がが将来必ず出てくることは世界の歴史が証明していること、そして学校自身も上から命令されることばかりおとなしく聞くのではなく、少しは自立的に工夫をする必要があることを言いたかったのだ。
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