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榊原烋一 【サカスト】 |
今日は クリスマス。この日がイエス・キリストの誕生日だということは大多数の日本人が知っている。ま、本当にこの日に誕生したかどうかは別として。だけれども、日本を知らない外国人がこの季節の日本を訪れたら、日本てなんとキリスト教が普及しているんだろう、とびっくりすること間違いなし。
かなり前に、アフリカかどこかの大統領だったか首相だったかのおばさんが、日本へ来て「もったいない」という言葉を知ってすばらしいと感激した話しが有名になった。あのおばさんに、だれが、どのように翻訳してあげたのか分らないけれど、日本人は外国人に褒められると、飛び上がって喜ぶ。
もったいないもそれで、一時はこれこそ日本人の心がけの良さ、地球環境に貢献するのはこの精神だ、なんて大騒ぎをしたくせに、クリスマスシーズンが到来するとやれどこのイルミネーションがきれいだの、どこのクリスマスツリーは何万個の電球がつけられただの、一時はやったもったいないはどこへやらのあり様だ。
だいたい日本のキリスト教信者は、おおざっぱに数えてもその人口比は銀行の定期預金の利子くらいのもの。それがクリスマスになると急にキリストの誕生日をお祝いする。そのくせ教会なんてのぞこうともしない。数日たてば、初詣に明治神宮には何十万人が訪れたの記事、2月になれば今年の年男はだれで、どこぞの寺の豆まきには、これまた何十万人集まった、の記事やテレビが騒ぐのが目に見えるくらいだ。
東京の電力事情は、現在は冬だからなんとかしのいでいるが、今年の夏はいつダウンするかでひやひやだったのだ。というのも地震で柏崎の原子力発電所が停止してしまった。これ一つで約250万キロワットの電力が送電不能、いったんこういうことが起きてしまうと、発電所を作りたくても建設反対運動が盛り上がるから、原発は増やすことも出来ない。一時はガス会社とオール電化住宅など張り合っていた東京電力の鈴木京香さん主演のコマーシャルはついにお蔵入りだ。そのくらい電力会社は電力需要の増加を恐れているのもしり目に、もったいない、も忘れて電力の無駄遣いを騒ぎ立てる。
儲かったのは東京ガスだ。こちらは洋服ダンスから歴史上の有名人がタイムカプセルよろしく飛び出して来てガスの便利さを堂々と宣伝している。このCMのアイデアはおもしろいことはおもしろいのだが、敵が困っているのに乗じて悪乗りしていると見れば、日本人のメンタリティからはどうかと思われるところもある。
どうせかなりの日本人はNHKの大河ドラマを喜んで見ているんでしょう。それなら上杉謙信は敵である武田信玄が塩がなくて困っていたとき、塩を送った故事もご存知のはず。なのにガス会社のCMには喜んでる。こう見てくると、日本人ていったい何を考えてるんだか、まったく不思議でならない。だから世界で、いつまでも、どんな貢献しても、疑いの目で見られてしまう。
今年を振り返って一文字で表すと「偽」になったことも残念至極なことだ。事実その通りだからなおさら口惜しい。とにかく上から下まで、嘘つかなければ損とばかりに出るわ出るわの大嘘合戦。マスコミはめしの種が出来たと大喜びのようだが、そのマスコミだって余計なところへ出しゃばってくるから、政治がまとまるものまでまとまらなくなってしまう。
そんな話しに飛びつく方も飛びつく方だ。まったくの国民不在、密室政治の姿を見せつけてくれた。年金と防衛省問題ではまるっきり他人任せみたいな顔をしているから福田人気はガタ落ち、ひょっとして解散総選挙となって、民主党政権が出来てしまう可能性もないとは言えないが、あんな裏芸だけで政治家人生を過ごして来た小沢党首が首相になるのもちょっと気にかかる。もっともあそこが政権とればすぐに内部分裂を起こして崩壊することもほぼ確実。
そうなれば、次は政界大再編となるか?自民党右派と民主党右派、自民党左派と民主党左派、こうなればこれでまた二大政党になっておもしろいかもしれない。それにしても、本気で政治やってくれないと喜ぶのは役人ばかりで、またぞろ省益だらけでむだな税金使われて赤字が膨れるばかりだ。
選挙が近付いてくるとただでさえ票集めで耳にやさしい話しばかりを地元でするから、役人たちはそれっとばかりに自分の役所に有利な予算付けを考える。地方も地方でもらえるものならもらっておこう主義だから、道路なんて作ったってどうしようもないところに道を造る。そのくせ立派な道があって山奥へも救急車がすっ飛んで行けるようになったら、今度は病院にはお医者さんがいないからとたらい回し。
これだって役人が机の上だけで考えて医師の研修制度を変えてしまったからこんなことになる。まるで戦争中の参謀本部と同じバカばかりやっているのが上層部の役人達だ。そのくせ失敗すればまた税金で穴埋め、ここでもまた無駄遣いだ。こんな役人に退職金と再就職の道まで用意してやる国民の甘さ。
かつて長崎で原爆の悲惨さをたくさんの著書で世界に訴えて亡くなった故永井隆医学博士の著書の一つに「ロザリオの鎖」というのがある。永井氏は長崎医大に勤務中に原爆に会い、みずからも重症を負いながら患者の緊急手当てや避難に忙殺されて翌日自宅へ戻るとそこには家のあとは何もなく、焼跡からロザリオのからみついた骨片が残るのみだったという。(ロザリオとはカトリック信者の使う数珠のようなもの)
これが夫人のみどりさんのものだったのだ。それ以後永井博士は数年間カトリック信者の寄付によって建てられた、たった2畳の庵で(「如己堂」と名付けられ現在でも残っている)疎開していたために助かった一男一女のお子さんと執筆、療養生活を続け、昭和26年43歳という若さで亡くなる。「長崎の鐘」「この子を遺して」など当時は非常に有名な著書だった。その「ロザリオの鎖」という本の中に、遺された女の子を案じて「茅乃(お嬢さんの名)は悲しみのあまり涙さえ涸れてしまった」という言葉がある。
回り道をして何が言いたいのか。今の日本人は偽りに呆れ果てて怒りも忘れてしまったのではないか。これが今年の最後に送る言葉とする。
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