死刑廃止の立ち場から 安倍政権にNO

札束は食べられない

榊原烋一 【サカスト】
2007年7月21日(土)寄稿
7月23日アップ

【サカスト】では昨年7月に「日本の食糧政策」そして今年4月に「バイオエタノール」と題して日本の食糧問題に筆者が非常な危機感をもっていることを記した。今、また日経新聞では二日間にわたって「食糧争奪」という特集が組まれている。

何度も言うことだが、食糧自給率がカロリーベースで40%しかないということに政権与党も野党もまったく無関心という有り様だし、有権者の関心ももっぱら年金問題に傾いてしまっている。もちろんお金の問題が大切でないと言うわけではないし、国民が自分たちの老後を心配する気持ちもよく分る。

しかし敗戦前後の食糧難の時代を経験した私のような世代では、金も大切だが食糧の方がより重大な問題だと考えてしまうのだ。あのころ都会で生まれ農村には親戚はおろか知人すらいなかった我が家では、食糧を手に入れることにどれだけ知恵と労力とを使わされたことか。

とにかく薩摩芋が好きだとか嫌いだとか言っている場合ではない。芋と名がつけばこれは最上級の食糧で、薩摩芋なら茎も葉も食べなければ生きていかれない時代だったのだから、麦、粟はもちろんのこと、豆粕まで口にしなければならなかった。

戦後しばらくして日本はハイパーインフレとでも言うべき状況におかれたが、そうなれば今度は金なんか持っていても腹の足しになるものではない。毎日のように通貨の値打ちが下がって行くのだから、近隣の農家へ頭を下げて大根でも分けて下さいと頼んでも金では売ってくれない。物を持って行って物々交換をしなければ食糧は手に入らなかった。

だから都市の人間は農家の人が喜びそうな衣類を持って行って僅かな食糧を手に入れた。箪笥の引きだしにあった衣類は、かくして食い物に変わって行く。着物をはいで食糧にするからこれを“たけのこ生活”と呼んだのだ。とにもかくにも生き残った私には、日本の食糧問題に対する不安がそれこそPTSDとなって残っている。

やがて、もはや戦後ではない、などと好調な経済発展を遂げた日本では、食糧などは金さえあれば好きなときに手に入るとの幻想に陥ってしまっているのではないのか。ともかく今回の参院戦で掲げられた各政党の公約のどこにも食糧危機を訴えているものはない。それどころか民主党のように日本の農家への補助を1兆円出しますなどというバカなことを言って農村票を集めようとしているほどだ。

共産党だけは農産物輸入自由化をやめさせると公約しているが、その姿勢を国際社会で押し通して行けば、当然日本の自動車の輸入を禁止するという国が出てくるだろうという予想もしていない勝手な論理がこれまた通用するとでも思っているのだろうか。

実は日本人がこれほど贅沢な食生活を享受できているのも、世界中から札束で頬を叩いて食糧を買い漁って来たおかげだ。実態を見れば日本の農業、漁業、牧畜業は既に後継者がいなくなっているかあるいはいなくなる寸前にある。というのはそれぞれの業種では食べて行けなくなって来ているからだ。したがってこれらの産業従事者の高齢化の進み方は驚くほどになってしまっている。

漁業は既に200海里問題以来、大掛かりな遠洋漁業のうまみがなくなってしまっている。農業、牧畜業はその規模の小ささからもともと世界と競争できる産業ではなかった。例えば昨日の新聞によっても、農家一戸当りの耕地面積はアメリカ、ヨーロッパの10分の1から100分の1くらいでしかない。現在耕作を放棄している農地を他人に貸して農作物を作らせている現状もあるが、飛び飛びになった農地を耕作するほど非効率な作業はないからとても国際的な競争で勝ち目はない。

おまけに近年経済的に急発展を遂げて来たいわゆるBrics諸国の国民がこれまで日本人が買い漁って来た食糧を高値で競り落とすようになってきたから、ますます食糧問題は深刻になって来る。日本の商社などは高値で輸入してもこれまでの安価な食品になれてしまった日本の消費者が買ってくれるか心配だからおいそれと手を出すわけにも行かない。

食糧の問題こそ現在の日本の抱える最大の問題だと考え、その打開に向けて国民の知恵を結集しておかなければ将来に大きな禍根を残すことになる。幸いなことに日本の農業、漁業、牧畜業の従事者の中には極めて優秀な技術の持ち主がまだ存在している。たとえば高級な果物は輸出しても高値で売れるし、養殖漁業の技術は世界の最先端にランクされている。

しかしながら、このような先進的な従事者の意気を削いでしまうのが規制の好きな役人と既得権を手放さない政治家たちなのだ。先に述べた民主党の公約のようなものもその例で、やる気もない人間にまで金をばらまくということは、結局のところ過保護となって目先は喜ばれても最終的には努力している農家までもやる気をなくしてしまうという、これまでにさんざん見せられてきた保護行政、規制行政の繰り返しになるだけだ。

その場限りのおためごかしではなく、思い切って、たとえば農業への株式会社の参入などの抜本的な改革を考えておかなければ、日本の一次産業は今より更に体力を落として、気づいた時には取り返しのつかない状態になってしまう恐れのあることを再度警告しておこう。食糧の自給自足が出来なくて何が「普通の国」なのか。

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