川柳2題 年金問題に隠された危険

年金騒動とエリート

榊原烋一 【サカスト】
2007年6月11日(月)寄稿

Yahoo!辞書安倍首相がサミットで各国首脳と得意顔で写真に収まっている間にも、国内は年金問題で大揺れ、へたをするとこの問題は7月の参院選挙に大きな影響を与えることが確実な様相を呈してきた。

以前から【サカスト】筆者は安倍内閣には信頼をおいていなかったが、今回のサミットでは見直した点が一つだけあった。もちろん日本の提案がすばらしかったなどということではない。あの提案は次回の北海道サミットに大きな宿題を残しただけにすぎない。ではなにがよかったのか、それは安倍首相の体格が列国の代表と比べてひけをとらなかったということ、なにしろ竹下総理の時の情けなさは今でも思い出すほどなんだから。

本題に戻って、年金問題については【岸コラ】がマスコミの視点とはまったく違う興味ある意見を述べていた。たしかに国民年金保険とは現在稼いでいる世代が、定年を越えて収入のなくなった世代を支えて行く、という制度であって、自分で積み立てたお金を自分が受け取るというものではない。

現に私だって仕事をしていた時にはそれなりの保険料を支払って来た。しかし、当時は稼いでいる人口が多く、それに対し養われる高齢者の数は非常に少なかったから、自分が支払った保険料より老後支給される年金の合計は、長生きをすればするほど増額される計算になっていた。

その頃にはだれも、こんなに急激に労働人口が減少し、かわりに老齢人口が増加するとは考えてもいなかった。ここで“だれも”と言うのは国民一般のことで、政府、なかんずく人口動態を所管する役人は当然これを知っていたはずだし、また知っていなければ将来の国家運営の方針一つすら決定することはできないはずなのに、あえてこの事実に目をつぶって来た。

政治屋も役人もともかく自分の代に皆から恨まれることはやらずにおこう、ばれたとしてもその頃には自分はその場所にはいないのだから、と、すべて先送りの精神が先にたっているのだから、この問題も起こるべくして起きたとも言えよう。

皮肉なことに社会保険庁の無駄遣い問題から端を発して、この役所の機構を見直そうと審議をはじめたためにこの記載洩れ事件が発覚した。これは国民にとって大きな問題になることは仕方がない。現在の稼ぎ手は、ただでさえ老後どのくらいの年金が次世代によって支えられるかを心配しているところへ、納めた記録まで不正確で更に減額されるかもしれないというのだから、マスコミがここを大きく取り上げることもやむを得ないと考えられる。

これは社会保険庁という一つの役所の問題ではなく、日本という国の現在かかえる大きな問題の一部に過ぎない。さすがに年金問題の騒がれ方が大きくなったために、NHKの番組、クローズアップ現代には現職の厚生労働事務次官が直接出演して謝罪一方の報道となった。前例を重んじる役人世界では、自己の所属する官公署で何か大きな失態が起きれば、ついに事務次官でさえテレビに出演して謝罪しなければならない世の中になったと首をなでているやからもいるかもしれない。

マスコミも野党も鬼の首をとったように次から次へと問題点を洗い出してくる。例えば実際の責任者であった過去の歴代社保長官の天下り歴から、更にはいわゆる渡り鳥方式で得た退職金が一人数億円にのぼることなどなど。また世論に悪のりしてそれらの責任者の退職金はすべて今度の事件の後始末のために没収しろ、などと言う政治屋まで出てくる。これに至ってはまさに「目くそが鼻くそを笑う」たぐいの言動で、かえって政治屋だって皆「同じ穴のむじな」じゃないかと自らの地位をおとしめているようなていたらくだ。

とは言っても高級官僚の天下りの実態はあまりほめられたものではない。とにかく彼等を称して「3ない」と呼んでいることからもその姿が想像できる。すなわち「頭を下げない」「仕事をしない」「責任をとらない」のが天下り高級官僚の平均的な姿だといわれる。このことについても【サカスト】では数回にわたって指摘したことだが、日本にはついに真のエリートと呼べる人物がいなくなってしまったということが一番気掛かりなことなのだ。

私一人が嘆いてもなんの力にもならないと思っていたら、どっこい強力な助っ人が現れた。それは昨日発売された文芸春秋7月号に掲載された「この国に活力を取り戻すために〜日本人への10の質問」という記事である。著者は「ローマ人の物語」の大作で有名な塩野七生氏。著者があげた10の質問の6番目に「エリートについて」というのがあった。しばらくその文を紹介することをお許しいただいて…。

「日本に活力がないのは、高齢化のせいではなく、日本のエリートとされる人々の自覚と気概に関わりがあるように私には思えます。日本でエリートと呼ばれる人々から自信が失われたのは、バブルがまだ存在してもいなかった1980年代前半からのことだと思うのです。彼らはあの頃からすでに、この景気もいつか終わる、その後日本はどうなるのだろう、と不安に駆られていた。これは歴史的に異例なことです。」として氏の得意分野のローマ帝国やヴェネツィア共和国などの例を挙げ、87年、野村証券が経常利益で日本一になったことから、製造業でない株屋がナンバーワンになったことに批判が起き、その結果、「日本の指導層がお金を稼ぐことに後ろめたさを感じ、稼いだお金をどう使うかについてまで腰が引けてしまった、」と述べている。

さらに「日本の指導層にないものは何か、と考えたとき、それは『ノーブレス・オブリージュ』の精神ではないかと思う。一般の大衆には行動の自由があることでも、自分は他の人にはない犠牲を払ってでも背負わなければならないものがある」として、ヨーロッパの貴族や騎士階級は支配階級であると同時に、国民への責務を負っていた。その最たるものが国民の安全、財産を守るためには自分の命さえも張っていたことをあげている。

年金問題にふれたある官僚の言葉はこうだった。「なんとしても国民の信頼に応えて行きたいと思います。」そうではないでしょ。国民の信頼はすでに地に落ちている、だから「なんとしても国民の信頼を回復するよう努めて行きたいと思います。」真のエリートならばこういう言い方ができるはずではないか。

年金問題には更にマスコミが触れていない危惧が私にはあるのだが、それは稿をあらためて。

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