教育格差問題 年金騒動とエリート

川柳2題

榊原烋一 【サカスト】
2007年6月1日(金)寄稿

中学校時代の教科書に載っていたものだから記憶が確かではないんですが、江戸時代の川柳とは日本人の庶民の心を本当にうまく表現していると今さらながら感心させられます。難しい法律よりも、封建社会のまっただ中にいた江戸っ子たちの社会批判の目の鋭さに感嘆してしまう例をここでは憶えている二つだけを取りあげてみましょう。

1 役人の 子はにぎにぎを よく憶え

この句は読んだだけですぐ意味が分るでしょう、この句の中の役人根性は現代に至るまで相変わらずだけれども、この頭句を”代議士の”としても現代風になりますね。”にぎにぎ”とは赤ちゃんがお手々を握ること、生まれたばかりの赤ちゃんが、手を握ったとか、開いたとか、現代だって赤ちゃんが生まれたばかりの時の親の気持ちは同じですよね。

だけれどお役人の赤ちゃんは初めっから手の中に握らせてもらうものがよく分っている、この句が作られてから今に至るまで約240年、世の中少しも変わっていない、こういうのをしゃれた言葉で言うならばDNAに刻み込まれているとでも言うのでしょうか。

平和が長く続くとこんな弊害も起こりがちなんでしょうね、でも戦争で死ぬよりはましだと私個人は痛感しているんですが。

2 泣く泣くも よい方を取る 形見分け

これは経済優先主義社会が次第に本格化(戦前は軍部統制社会主義社会と私は勝手に思っているんですが)というか、自分たちの身にしみ込みつつある現在の日本人が心して考えてくべきことだと考えるのです。特にお涙頂戴の大好きな日本マスコミの皆さんに申し上げたいのです。

昨晩のニュースで、婚姻届は出さなかったけれど事実婚のご夫婦が、自分の赤ちゃんの出生届を区役所に出そうとしたところ、その書類に嫡出子かそうでないかを書かされるというので、届けを出さずに帰ってしまった。おかげでそのお子さんは住民票にも記載されず、戸籍の上でも無籍になってしまった。ですから保健所の通知もこちらから申し出をしない限り連絡がない。このご両親はご自分で区役所の広報などで知って検診を受けていらしゃった。すごいご苦労です。

そこでこれはおかしいと裁判所に訴えた、昨日のニュースでは東京地方裁判所の判決で、嫡出子であろうとそうでなかろうと住民票の届け出は受け付けるべきとの判決が出たそうです。

たしかに戸籍もない、住民票にも記載されない子どもがいれば、その子どもは日本にいる限り(戸籍がなければ外国に行くことだっって不可能でしたね)圧倒的な不利益を被る、だからマスコミの報道姿勢はこの判決をどちらかと言えば肯定的というより、むしろ全面的賛成という姿勢でした。

情緒的に考えればまったくその通りですが、今だけ子どもが可哀想と同情していればその後のことには関係がないように思っていても、子どもも親も今のままなんてだれも保証できない。もしこの親が大金持ちになる、また父親がよその女と子どもを次々にこしらえる、そして嫡出でなければ届けない、となれば、遺産相続で大問題が発生するんではないでようか。

法律の世界がこんなに簡単に情緒的な判断を下していいのでしょうか。実は遺産相続の場合は父親が16歳の時くらいからの戸籍が求められるんです。つまり、男はそのくらいの年になれば生殖能力がある、だから死んだとき実は故人は私の父親でしたなんていう人間がやたら出て来たらどうなるか、ここを考えておかなければならない。

それを赤ちゃんがかわいそう、だけの情緒的な判断をするのが日本のマスコミであり、またそれに同感する日本国の私たちなんです。欧米の推理小説の傑作と言えるもののかなりが遺産相続にまつわる殺人だったのではないでしょうか。この辺に日本の文化はどうしても欧米文化と異質なものがあるようだし、論理的でないところが日本の良さとばかり考えていてよいのでしょうか。

けれど、日本人だって昔から赤ちゃんはいつまでも赤ちゃんでいると思っていたのでしょうか?どっこい、江戸時代の川柳はそのへんの人間の心の機微をうまく詠んでいるのです。当然その時代には相続は長子最優先だったのですから欧米のように財産の奪い合いはなかった、けれどもほかの子どもたちだってせめて形見くらいはいいものが欲しい。

川柳ってほんとに人間の心をよく写し出していると思いませんか。

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