平和国家への道 教育格差問題

ウチとソト

榊原烋一 【サカスト】
2007年5月25日(金)寄稿

林野庁の下部団体である緑資源機構の理事をはじめ、またまた官製談合が摘発された。今回の談合事件も、事業の発注者である役所側と、仕事を受けてそれを配分する部署、そして下請け業者のすべてが国民の税金に群がって談合取り引きを繰り返していたのだが、その裏に役人の天下り先確保の慣習が残存していることが明らかになった。

安倍内閣は、性懲りもなく続く役所の天下りに伴う不祥事を一掃するべく、退職官僚の再就職を各省庁から外して独立した人事担当業務、いうなれば役人のためのリクルートセンターなるものを作って一括請負制度とすることでこの種の事件の根絶を図ろうとしているが、肝心の与党内からも異論続出のありさまで、結論はいつ出るのかは不明の状況だ。

もともと憲法で職業選択の自由が認められているわが国であれば、(もっとも日本国憲法では「公共の福祉に反しない限り」という注がついているけれど)役人といえども再就職の自由はあるのが当然だろう。したがって、再就職先を限定してしまうかのごとき法律を立法することは、場合によれば憲法違反の疑いも出てこよう。とは言っても役人同士が馴れあいになって税金の上前をはねている惨状は、まさに後進国そのものとも言えるありさまだ。

ここで考えておかなければならない点は、ウチとソトとの関係があまりに明確な日本の伝統や文化がここにも根強く残っていることである。日本人には自分のよく知る人に見せる顔と、自分と無関係な他人に見せる顔とが驚くほど大きく違うという文化がある。

外国へ旅行をしてホテルのエレベーターに乗った時を例にとればすぐに分ることだが、欧米人は朝エレベーターでまったく面識のない人間に会っても必ず挨拶をする。日本人はどうか、おしなべてむっつりと押し黙って天井を眺めるか階数表示板とにらめっこをするかだ。

ところがそこへ顔見知りが一人乗って来るとどうなるか、それこそその場に他人が何人乗っていようとおかまいなしに大声でしゃべりはじめる。ましてそれが自分より地位が高い人であろうものなら、他人を押し退けてまで場所を確保すべく努力する、されるほうもされるほうでそれを当然の如く受けている、つまりここには、社会とか公共とかいう概念が皆無という文化なのだ。

役所とか会社とは日本人にとってはウチであって決して社会とか公共という場所ではないのだ。ただ会社の場合にはそこに営利の原則がはたらいているから、必ずしもウチ一辺倒で済ませる訳には行かない。しかし日本人は会社員であれば、どこの会社に勤めていると自己紹介をするのが一般で、自分はどういう仕事をしているかを先に言うことはまずない。

最近の会社ではこのような日本の文化が少しずつ崩れだして来たようだ。これを会社のお偉いさん方はあまり快く受け止めていない、いわく、最近の若者は帰属意識が薄い、と。しかし、国民の税金で食っている役人には、役所自体が壮大なウチであって自己の所属する場所こそ社会そのものという意識になっている。自分の力で金を稼ぐ必要はまったく無くて、自分の仲間さえうまくいけば税金を浪費しようがまったく無関心なのだ。

しかも、それを自己改革しようとする動きも見えてこない。だいたい上級公務員の序列が入省順になっていて、その中の一人が上位のポストに就くと同期入省者は他へ退くなどという非常識な人事制度が残っていること自身、浮き世離れもいいところ。民間の企業であれば自分より後輩が出世して自分の上役になることなんて腐るほどある、それで腐って自分を破滅させるバカも中には出てくるが。

こういうウチ意識を根絶させるのはまことに難しい、なぜならばその方式はそこにいる個人にとって極めて居心地のよい場所を提供していることになるから、自らの力でそれを壊そうという力学が働かないからだ。

職業選択の自由を奪うことなく、このような事態を変革するにはどうすればよいのだろう。それこそ日本得意の精神論に待つほかはない。一般企業でよくある風景でこれも日本独特の文化だろうが、朝礼で社訓を叫ぶというようなやり方、これこそ日本人のメンタリティには合致しているのかもしれない。

そこで各官庁、特殊法人など、最近とみに評価の下がったいる組織では毎朝朝礼を実施し、そこで「私は日夜国民の福祉のためにだけ仕事をすることを誓います」とか「私は国民一人一人が心血を注いで稼ぎ出した結果としての税金を1円たりとも無駄に使わないことを誓います」のような心得を叫ばせてみてはどうだろう。

現在政府直属の教育再生会議で行われている議論など、まったく日本の大人社会の実態を知らずに一人一人の委員が個人的な教育論をぶつけあっているだけだから、こんなものは何年かかったって結論の得られるはずもない。それより自分自身がエリートと思っている人間こそ、まず、人間の美しい生き方とはこういうものだ、と実践してみせることによって、子どもたちにそれをまねようとする意欲を植え付けなければこの日本は変わるはずはない。

検事の道から福祉の道に転向した堀田力さんのような大人が続々と出れば、子どもたちは黙っていても美しい生き方を真似るようになるはずだ。

おっと、最近の安倍総理は「美しい国」もできないうちに今度は「美しい星50」なんて言い出した。どうせ出来ないものなら大きい方がいいと思ったのでしょうか。そうなると次は「美しい宇宙」と言い出すのでしょうかね。あなたに言われなくても宇宙はもともと美しい秩序をもっているんですからね。

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