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榊原烋一 【サカスト】 |
日本の社会の不思議だと思うことの一つ、騒ぐ時だけ騒いで、ほとぼりが冷めると後はそんなことあったんだっけ、と通り過ぎてしまうこと。
一例をあげてみよう、駐車違反に対する罰則が強化されたときだってその通りだ。マスコミはこぞって民間取締官が活躍してほんの2〜3分車を離れただけでも違反マークを張られたとか、コンビニへの配送業者が運転手を複数にしたとか、駐車場経営会社の株が上がったとか、都心部の交通が極めてスムーズになってバスの運行が正確になったなど一しきりの騒ぎになったが、今ではもはやそんなことだれも口にしない。
口にしないどころか、平気で違法駐車をするやからもまた増えて来た。はじめっからすべての駐車違反車両を検挙するなんて出来ない相談だということが分っていても、あまりの違反の多さが指摘されると、施行が可能かどうかも碌に考えずに法律を変える、するとマスコミが大騒ぎするために当座は違反が減る、しかしだれも騒がなくなればまたぞろ違反だらけになる、その結果つかまった人間は運が悪かったとぼやくだけで、決して法律を守るべきであったという反省はしない。
私の家の近所の通りももちろん駐車禁止の場所で標識も立っている。しかも駐車違反の取締が厳しくなったその時から「駐車違反重点取締地域」と書かれた立看板がいくつも立てられた。けれどもだれも取り締まる人かげもない。だから最近ではその看板も色あせて来てしまったし、おまけにその看板の前に平気で駐車する車も出てくるありさまだ。これでは捕まった人間は本当に運が悪かったことになる。
だいたい法律というのは最低の道徳と言われるように、人間がもともと道徳的に振る舞えるかぎりにおいては必要のないものが多い。しかし人間とは本来自分勝手な者だから、集団を形成するに従ってこれだけはやってはいけない、という制限が作られてくる、いわゆる自然法というたぐいのものだ。
だから皆がそれぞれにあるていどの道徳律をもっていれば法律は少なくて済むはずだ。たとえば前にも書いたが北欧のある国では路上に駐車が可能な場所が作られて、そこへ車を止めるとまず置いてある丸い時計型カードを取って来て止めた時間のところを少し破いてフロントに貼っておく。駐車時間は何分以内と決められているからそれをオーバーすればたまに来る巡回の人に罰金をとられる。しかし止めた時間は自分で申告している訳だからそれをごまかすことは容易に出来るはずだ、しかしだれもそんなことをやらない。
もちろんインチキがばれればすごい罰金を取られはするのだろうが、このようなシステムを見せられると市民道徳が身に付いたものになっている感じさえする。そしてその中で人びとは自分自身の道徳性に従って行動しているように思える。
日本の場合、どうもそういう感じがしてこない。いまだに法律とは偉い人々が取締のために作るもので、人が見ていなければなんとかして逃れるものという認識があるのではないかとすら思える。しかもそういう法律が出来たときだけ大騒ぎをするから一応それを守っている姿をしてみせる。だから騒がなくなれば平気で破る。
また、立法する側も物理的に守れるはずもない法律を世間が騒ぐだけですぐに法律にしてしまう。道交法ばかりを例に挙げて申し訳ないが、この法律は身近な法律の代表として取り上げるので、たとえば制限速度20キロなどという道路がいまだにあちこちにあって、ごくたまにネズミ取りを行えば必ず数人の違反が捕まる。これは絶対に違反することがわかりきっている速度制限なのにだ。
車を運転する人なら一度やってごらんなさい、20キロで運転することがいかに難しいことか。だから取締りさえなければたいていの車はまず40〜50キロで走っている。車の性能もブレーキの性能も格段に進歩しているのだから、30キロ以下の速度制限は車が通れる道路には作らない方がいいのでは。
むしろそんな危険な道路だと考えられるような所にはいやでもスピードが出せなくなるハンプ(Hump−こぶの意)を作れば車はすべて徐行せざるを得なくなる。いつかあったように保育園の児童の列に車が突っ込んで4人の死者があった。この時の運転手はテープの入れ替えだったかに気を取られて、子どもたちの行列に気づかなかったと言う。これだって道路にでこぼこを作っておけばいやでも注意したはずだろうに。
例を道路交通の問題ばかり取り上げてしまったが、こんなことを書いたのも日本人の道徳律が本当に危険なものになってしまったと感じた事実をいくつか耳にするからだ。それはつい最近あった能登沖地震のニュースにもあった。やっと落ち着いた被害者からの話しによると、地震の被害は仕方がないとしてもそれに追い打ちをかけて口惜しかったことが泥棒の横行したことだと言う。被害者本人が危険で入れないと躊躇していた家の中のものがすっかり盗まれていたというのだ。
話しによると、犯人は近所の人間ではなくどうやら東京からやって来たらしいとのこと、つまり地震の報道があるとすぐにそこへ駆け付けて盗みを働くやからがいたらしい。実はこれも報道で信用していたのだが、あの阪神淡路大震災のときに、ボランティアが大勢駆け付けてたいへんな働きをした、またあれだけの大災害の中でも泥棒が出なかったなど、日本人も捨てたものではないと感心させられたのだが、どっこい現地の人の話しではとんでもないことで、壊れた家屋に泥棒が入って現金はおろか銀行の通帳から宝石、店の商品まで盗まれたという話しがごろごろあったという。
美談に感銘していたこちらが甘かったのか、美談ばかりねらって報道したマスコミが悪かったのか、いずれにしても何ごとも信用できない世の中になってしまったものだ。
これというのも現在の日本では法律を作る立ち場にある人間がそもそも違法行為ばかりしているから庶民までこうなるのであって、この立て直しには厳罰主義を取ることもやむを得ないだろう。なかんずくこの連中は金を儲けることばかりに目を付けているやからだから、懲役などにするよりも懲罰的な超高額罰金刑に処して破産でもさせなければ目が覚めないだろう。
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