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榊原烋一 【サカスト】 |
なにも政府のあら探しばかりするつもりはないけれど、戦後生まれの政治家が戦争中の都合の悪いことはすべて否定しようとする傾向に危惧を感じるから繰り返し意見を言わせてもらいたくなる。
今度も文部科学省が高校の教科書検定にあたって、沖縄戦の記述から日本陸軍が島民に集団自決をさせた、という記事を削除させたと報じられている。たしかに沖縄にいた陸軍のすべてが島民を殺したわけではないが、その種の行為がいくらでもあったこともこれまた事実なのだ。
ちょうど沖縄が日本に返還される前年(昭和46年)、私は当時の文部省から依頼を受けて沖縄に一か月講師として派遣された。その役目は、翌年の本土復帰に当たって、日本本土の学習指導要領について沖縄の校長先生がたや指導主事さんに疑問点を解説したり留意点を説明したりする仕事だった。
石垣島に1週間、名護に1週間、南部に1週間、那覇に1週間と毎日朝9時から午後1時まで講義や質議、カリキュラム作成実習などをした。午後は暇になるので、参加の先生がたが車で迎えに来てあちこちを案内してくださった。季節は真夏の8月、つまり夏休みに講習をしたわけだ。おかげで沖縄は北の端から先島まで見学することが出来た。
はじめのうちは本土からきた講師だということで口が重かった先生方も、夜一緒に飲んだりすると本音で話してくれるようになる。参加者のすべてといってよいほどの方が身内を戦争で亡くしている。そんな話の中から、次第に日本陸軍から受けた仕打ちのひどかったこと、そして占領されて後アメリカ人から受けた屈辱、これもほとんどすべての方から聞かされた。
昭和20年4月、アメリカ軍が沖縄へ上陸、そして6月23日に日本軍は全滅、この間に軍人の戦死約6万6千、そして沖縄島民は戦死(と言ってよいのか分らないが)約15万という悲惨な戦闘だったのだ。正規軍の2倍以上の島民が亡くなっている。この戦争中、海軍は陸上ではほとんどすることがないから司令部の地下壕の中で司令官が「沖縄島民カク戦ヘリ」の有名な電文を大本営に打電して自決。
そのために私に話をしてくれた沖縄の方々で海軍の悪口を言う方は一人もいなかったが、陸軍に対しての恨みはまことにすさまじいものがあった。あの戦争中、陸上で住民を巻き込んだ戦いが行われたのだから当然だったかもしれないが、退却する日本軍は島民が隠れていた壕から島民を追い出して自分たちが隠れる、あるいは共通語のアクセントがおかしいというだけでスパイではないかと疑われて殺される、また10キロもある爆弾を15歳の少年に渡してアメリカの戦車に投げろと命令される、軍に強いられて集団自決をさせられるなどなど、アメリカ軍よりも日本軍のほうが恐ろしかったのだと言う。
戦後はまた占領軍のアメリカが勝手なことばかりする、私が行った何日か前にも、信号待ちのタクシーに私用のアメリカ兵の車が追突したという事故が起きた。ところが軍事裁判の結果、タクシーがそんなところに止まっていたのが悪いとされてタクシーの運転手が罰金刑に処せられた。この時にはさすがに温和な沖縄のタクシー運転手も大憤激して、仲間を集め米人の車を片っ端から道路中央に運び出して燃やしてしまったとの話しも聞かされた。
なぜわざわざ何台もの車を道路のまん中まで持って行ったのか、それは附近の住民の家に火が回らないように配慮したからだと言うのだ。憤激の中でも自分たちの仲間には配慮したこの話しにも私は納得させられた。
当時の沖縄の方々から直接にそんな話を聞かされた経験から、その後の陸上自衛隊沖縄駐屯に対する住民の反感、あるいは反米闘争のニュースを聞くたびに、私は無理もないことだの思いが先に立ってしまう。戦争とはこんな悲惨なもの、だからやたらに美化するものではない。あった事実は事実として語り継ぐ、これこそ忘れてはならないもっとも大切なことだと何遍でも言っておきたい。
話変わって…先日イラクの首相が来日した。なんと天皇と会談をしているではないか。イラクの今後の情勢はまだどうなるか分らないというのになぜ?と首をかしげてしまう。これもどこからかの差し金だったのだろうか。こういう既成事実を重ねながら、またまた皇室までも望んでもいないはずの政治の世界に巻き込んでしまうことにはならないのだろうか。今さかんに問われている愛国心とはそんな方向に進むことでよいのだろうか。