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榊原烋一 【サカスト】 |
アメリカで第2次世界大戦中の日本による従軍慰安婦問題が新聞記事となり、それに対しての安倍首相の発言がまた問題となった。最終的にはかつてこの問題についての1993年(平成5年)8月4日に発表された、当時の河野洋平官房長官談話の内容を追認する形で総理が参院予算委であらためて謝罪した。しかし安倍さん自身は内心大いに不満に思っていることだろう。
アメリカ国務省筋はこの謝罪を歓迎しているようだ。これは当然なことで、現在のイラク問題の手詰まりの上にまたまた北東アジアでごたごたが再燃することは、アメリカの外交戦略にとってきわめて面白くないから極力これを避けたいだけだ。しかし自国のことは棚に上げて他国の人権問題にはうるさい米国のことだから、議会の中ではこの問題に関する非難がくすぶり続けることだろう。
日本政府がこの問題を避けたがっているのは、仮に戦時中その事実があっただろうとしても日本軍や政府はこれにはかかわっていない、要するに国としての責任ではないと言いたいこと、もう一つはとっくに済んでしまった昔の話をいつまで問題にしたがるのかという不満が日本国民の間に根強くあることが理由として考えられる。
たしかに戦争という特殊な状況の下での事件と、北朝鮮の拉致問題とは同列のものではなかろう。しかし人権問題としての事実があれば、そんなことありましたか、ごめんなさい、で済むこととも思えない。いつも言っていることだが、脚を踏んづけた人はすぐその事実は忘れてしまうが踏まれた人はいつまでも憶えている。アメリカに遠慮している日本人は、ヒロシマ、ナガサキのことを今ではあまり騒がないが、その被害者は現在でも生きていて、しかもその後遺症に苦しんでいるのだ。だからこのことに関してはいつまでもアメリカの行為の非人道性を問い続けるべきだ。
それにしても従軍慰安婦の真相はどのようなものだったのか。これはやはり日本軍がかかわっていたのが事実であると思われる。いつも引用する講談社刊「昭和二万日の全記録」誌、第5巻、48ページの掲載された記事を紹介してみよう。
見出しには「『従軍慰安婦』という戦争犯罪」〜「無敵皇軍」のかげに〜」とある。ここに多数の記事が掲載されているが、一例として昭和12年11月28日に上海に上陸した麻生徹男軍医が同じく昭和14年6月26日の軍医合同会議で「花柳病(筆者注・当時は性病のことを”かりゅうびょう”と呼んだ)ノ積極的予防法」なる講演の記録があるので引用してみたい。原文は漢字カナまじりの文で読み難いためカナ書き部分は現代かな使いに改めて紹介する。(かっこ内はすべて【サカスト】筆者の注)
『昨年1月小官上海郊外勤務中、一日命令により、新たに奥地へ進出する娼婦の検黴(梅毒検査のこと)を行いたり。この時の被検者は半島婦人(当時は朝鮮を半島と呼ぶ習慣があった)八十名、内地婦人二十名にして、半島人の内花柳病の疑いある者は極めて少数なりしも、内地人の大部分は現に急性症状こそなきも、甚だ如何わしき者のみにして、年齢も殆ど二十歳を過ぎ中には四十歳になりなんとする者ありて既往に売淫稼業を数年経来し者のみなりき。半島人の若年齢且つ初心なる者の多きと興味ある対照を為せり』
次に当時、外務省東亜局長だった石射猪太郎の昭和13年1月6日の日記には、
『上海から来信、南京におけるわが軍の暴状を詳報し来る。略奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼、これが皇軍か』
さらに長沢健一漢口兵站司令部付軍医が戦後に書いた「漢口慰安所」なる著書からは、
『武漢陥落とともに上海、南京で待機していた売春業者らは、慰安婦を率いて続々と武漢を目指し、揚子江を遡りはじめた。』
派遣軍は彼等を軍需品扱いとし、優先輸送した。慰安婦達を“軍需品”扱いしたことは人権無視のあらわれであると非難した文章も戦後見受けられるが、軍需品は輸送順位が上位であるから名目上、そう取りはからったに過ぎず、別に彼女たちを物品視したわけではないのである。
これらの記録を見る限りにおいては、従軍慰安婦が実際に存在していたこと、そして軍も間違いなくかかわっていたこと、日本からは売春婦が主体であったが朝鮮からは若年の一般の婦女子が連れて行かれたことなどが分る。当時の戦争は男の兵士ばかり、それも元気のよい若者ばかりだったから、ほうっておけば占領地で何を起こすか分らないし、それを無視していれば国際世論も不利になると考えた軍部が、慰安婦を徴集して戦地に送ったことは仕方がなかったとも言えよう。
これも以前に述べたことだが、敗戦直後の8月18日、今度は日本の内務省警保局長から全国の警察に占領受け入れのための「性の防波堤」としての施設作りが通達されているのだ。戦前は売春行為が公認されていた日本だったから、官僚は反射的に占領軍による一般婦女子に対する暴行事件を防ぐため、と考えたことはむりもない。この時は、食糧の特別配給の条件に誘われて1,360名が選ばれ、中には一般の子女も入っていたそうだ。
しかしこの施設の存在は米国本土に知れ、アメリカの世論の猛反撃を食って僅かに7か月でこの種のすべての施設は閉鎖されてしまった。そのためにアメリカ軍による婦女暴行事件もいくらかはあったと思うが、もちろん当時の新聞はそれを報道することは許されてはいなかったとは言うものの、われわれ20代だった若者の中でも、女性が被害に会ったという噂についてほとんど聞いたことがなかった、という程度のものだったはずだ。
歴史とは自分にとって都合のよいことばかりではなく、不都合な事実もできるだけ正確に伝えることが後世の人々にとって意味がある、ということを知っている欧米人は、公文書を非常に大切に保存しておく習慣がある。都合の悪い文書は焼き捨ててしまう、なかったことにしてしまう姿勢は将来の日本人にとっても悪影響を与えるおそれがあることを考えておきたいものだ。
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