都市の景観 従軍慰安婦

学校の常識

榊原烋一 【サカスト】
2007年3月23日(金)寄稿
3月25日アップ

NHKスペシャルでまたまた教育問題を取り上げていた。総理が教育改革を叫んでいるとマスコミもこれぞ目玉と懸命になってくれるのはいいけれど、その中身はだいたい今の公立学校の置かれている当然の問題ばかりを取り上げているのみの歯がゆさ。学力が下がった、特に都市部では私立学校に比べて公立学校の学力低下が問題とされているが、すくなくともテレビで見る限りの小中学校の先生方は結構苦労している様子はよく出ていた。

首相直属の教育再生会議で何を議論しているのか分からないが、どうも最近の気象庁と同じで現場の実態も見ないでコンピュータばかりに頼って桜の開花予想日を間違えたなんていうのと同様に、無駄な会議をやっているとしか思えない。桜の開花予想日なんて毎日直接見に行ってつぼみの開き具合や、場合によればその目方まで測ってみればすぐ分かるはず。もっとも一説によればそれは今でもやっているのだけれども、コンピュータで計算している部署とは全然連絡がない縦割り組織になったからこうなったのだともいう。

教育のことだって机の上で議論しているよりも、委員さんが1年間くらい一つの学校に通い詰めながら実態を見てくれば、どうすることが子どものためになるのかくらい分かるんじゃないの。それとダメ教師をどうするとか言っているけれども、委員さんたちだって昔は生徒だったのだから、こんな先生に会ったから今の自分があるのだとか、こんな先生にぶつかったから辛い思いをしたとか、もっと具体的な話しをすれば国民に分かりやすい結論も出ようというもの。

現状を見る限りいくら小学校で考える力を養おうと騒いだって、最終的に大学入試センターの成績では考える力を試すことはまったくできないのだから、ほんとうに一流大学に行こうと思えば塾に行って受験の技術だけを叩き込む方が役に立つというのが現実なんだ。それがいやなら全国の大学受験生全員に即席の題を出して論文を書かせ、それで合否を決めれば別の話しになるけれど。

とにかく今でも一人の教師が40人もの生徒を受け持って時間数も減らされた中でなおかつ一人一人に考える力をつけさせようなんてこと自体ムリに決まっている。だから解決の早道は思いきって教育に金を使うこと、それ以外にはない。

最近つくずく思うのだが、日本という国はなんでいつまでもあくせくと走っていなければならないのかということだ。世界第2位の経済大国なんて外面だけは見栄をはっていてもその内実はお寒い限りだ。夫は会社で夜中まで働き、産休はおろか有給休暇も取らないでやっとこ生活しているなんて実態からはどこにも本当の豊かさなど感じられない。その中で子どもを産んで育てろ、考える力を養えなんて出来るはずがない。

第二次世界大戦に負けた日本の戦いぶりと同じで、補給をまったく考えないでとにかく先へ進めという命令を出すだけなのだ。だから食糧がなくなれば昨日まで戦友だった兵士の肉まで食べたとか。敗戦後間もなく起きた朝鮮戦争のときのアメリカ軍なんて最前戦の兵士でさえチェリーの入ったカクテルが飲めたと言うから、こんな国と戦争するんじゃなかったと本気で思ったことがある。もっともいまのイラクのアメリカ兵士が同じ状態なのかどうかは分らないが。

現在私が役員をしている私立学校には中学と高校がある。そこの父母の会にも顧問として参加しているが、ここでは在校生の父母が父母の会の会報を年1回だけ発行する。1回と言ってもオールカラー64ページというちょっとした週刊誌なみのもの、私も毎年その編集に携わっているが、今年の父母の投稿の中に、仕事の関係でオーストラリアにいた経験のある父親がかの国の学校についてこんな文を寄せていた。

「オーストラリア南部の田舎にいた時に現地の中学、高等学校へ行ってみた。生徒は日本と同じ制服着用(かなりラフなもの)。毎日の学課9時〜15時の間に何度かティーブレイクがあり、ここで生徒は自由に昼食らしきものを数回に分けて食べている。ベーコンサンドイッチやミートパイ(そのほとんどが200円まで)の売店も校内にあるが、生徒の多くは家から簡単なサンドイッチのようなものを自分で作って持って来ている。学校の近くにはマクドナルドやサブウエイの店もある。生徒たちは楽しそうなくったくのない笑顔を見せていて日本のような悲壮感がない。生徒のほぼ全員がスクールバスで通学していて15時30分には一斉に帰ってしまう。先生もとっとと帰ってしまうからだれも学校にはいない。放課後とか部活もない、生徒指導などもむろんない。

生徒のしつけは家庭の役割と決まっている。先生方の職員室もない。スタッフルーム(休憩室)はあるが、ここではコーヒーを飲んだりランチを食べたりしていて仕事をしている者はいない。オーストラリアの学校には入学式とか卒業式のような儀式はない。全般にかなり自由な雰囲気だが、そこには目に見えない規律が厳然と存在する。小さい頃からの教育の違いなのか、畢竟ここの生徒達は立派な大人だ。

卒業前に終了資格試験があり、これで進学先の大学が決まってしまう。そのための塾などはない。大学は国立か州立でそのほとんどに奨学金が支給されるから学費はただ同然。オーストラリアの女性は20歳でほとんどが結婚してしまう。まずは結婚し、落ち着いたところで上級学校を目指すといった人間として自然体の生き方がほんとうの学問を修得することにつながると考えている。」

長い引用をしてしまったが、文化も違えば資源のあるなしあるいは国土の広さ、など客観的な事情の違いは当然あるとしても、こういう姿が本当は豊かな教育の姿だと考えられるではないか。ここから見れば日本の教育はまだまだ貧しい国のそれでしかないというのが常識と思われてくる。

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