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日本の伝統と文化 その2

榊原烋一 【サカスト】
2007年3月12日(月)寄稿

3月10日付日経新聞の文芸春秋広告今月号の文芸春秋誌にまたまた昭和天皇の告白が特集されている。今回は発売前日にすでにその内容が新聞各紙で報道されていたのだが、歴史というものはこうやって次から次に文献が発掘されてくるから面白いのだ。受験のために年号ばかり丸暗記させられたって歴史に興味がもてるはずはない。ことほどさように日本の受験勉強などというものはその人の将来にとって何の意味をもつものではない。ただし忍耐力をつけるためにはなにがしかの役に立っているかもしれないが。

今回も天皇の側近としてお仕えしていた方の日記で、昨年も同様の日記が日経新聞にスクープされて話題となったように、戦前から戦中、そして戦後の昭和天皇の真実の姿が少しずつではあるが明らかになってくる。ただしこんなものが出て来るまでもなく、あの戦争は主として陸軍を中心とする軍部、そして一部の狂信的な皇国史観をもった学者、そしてそれらをあおり続けたマスコミの仕業であって、天皇の真意から出たものでなかったことは戦中だってひそかにではあるが言われていたことなのだ。

今回の日記によって明らかになったことの一つは、日中戦争(当時はこんな呼び方はしなかった。支那事変と呼んだ。つまり中国との戦争は最後まで宣戦布告がされないままの戦争だったのだ。)が陸軍上層部の思惑のようには簡単に片付かなかったことに対する天皇のいらだちや、ご自分の過去で一番楽しかったのがヨーロッパ訪問であったことなどが語られている点である。

昭和天皇は戦後もヨーロッパを訪問されているが、ここで語られている「自分の花は欧州訪問の時だったと思ふ…自由でもあり、花であった」のお言葉は大正時代のヨーロッパ訪問のことで、天皇ではなく摂政時代のことであったから天皇即位前の気楽な旅行であったとも言えるが、本質的に明治以後の皇室制度はその範をイギリス王室に倣っていたのだから当時のイギリス国王ジョージ5世を訪問されたこの訪欧は思い出に残っていたものなのだろう。

今回発表されたこの日記から私は歴史の皮肉をつくずく感じさせられた。というのは戦前の大日本帝国憲法の第1章は17条からなっていたが、これはすべて天皇に関する規程だった。たとえば第1条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」で始まる。この天皇の地位についての解釈は、明治時代にはもちろん天皇主権説が当然とされていたのだが、日露戦争後には学説の中で既に天皇機関説が唱えはじめられた。つまり天皇は法人としての国家の最高機関であって主権者ではない、国民の代表である議会が内閣を通して天皇の意志を拘束できるものだとする学説である。

1920年代、つまり大正時代にはこの学説が国家公認の学説でもあった。ところが1935年頃から軍部フアッシズムが台頭して、この説を支持した美濃部達吉博士はついに貴族院議員の議席を剥奪されてしまう、つまり再び天皇が国家の主権者であると軍部は唱えはじめるのだ。しかも旧憲法はその第11条において「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と書かれ、またこれも明治時代に作成されたいわゆる軍人勅諭においても「朕ハ汝等軍人ノ大元帥ナルゾ」とあって、軍部は天皇の直接統治下にあるという建て前のもとに勝手な行動に出てしまった。この事態こそ、実は天皇は主権者ではなく単なる軍の一機関に過ぎないという形を作り出してしまったのだ。天皇機関説をもっとも排撃した張本人が実態のうえでは天皇を機関としてしか認めず勝手な行動をとったことを、その天皇自身がこの日記の中で苦々しく思いつつ、ついに世界を相手とする大戦争にまで巻き込まれていってしまったということこそ歴史の皮肉としか言いようがない。

さて、戦争当初ははなばなしい戦果をあげてあっという間にシンガポールまで占領し、これを昭南島(しょうなんとう)と名付け、よせばいいのにそこに昭南神社なるものまで作ってしまった。そして支配下の住民にこれを参拝せよと強要した。しかしこれははじめっから無理な話で、日本人にとっては日本伝統文化の中心としての神社であっても、他の民族にはこんな文化が通用するはずはない、戦争が終わったとたんにすべて破壊されてしまったことは言うまでもない。明治時代から植民地とした朝鮮には朝鮮神社、台湾にも台湾神社が、更に傀儡国家満洲国には天照大神を祭神とする建国神社までつくられたものの、これらも戦後には破壊されてそれらの民族には何の影響も与えてはいない。

この一事をもってしても分るように、前にも述べたことだが日本の風土が育てた日本の文化は、日本という国の中でこそ通用はするのだが、余りにも特殊な文化であるから世界に通用するものではない。最近でこそ日本発のマンガなどがかなり興味を持って見られるようになったのだが、このことは考えようによれば世界がグローバルになり過ぎた結果、欧米文化以外にも興味をひく文化があるのだということが知られるようになった、いわゆるグローカル現象がさせたものであって、やはり日本の文化は日本人としては大切に守る必要があっても、国際的に通用させようと考えれば再び戦争時のような結末を見ることになることに心すべきなのだ。

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