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榊原烋一 【サカスト】 |
内閣に所属する大臣達があちこちで舌禍事件を起こすものだから、ついに中川幹事長もたまりかねて、大臣たるもの総理に忠誠心を持て、と檄を飛ばすはめになってしまった。
総理もこの喝に力を得たのかこの頃いやに勇ましく自説を曲げなくなって来た。与党からさえ問題ありとされた衛藤議員の復党を押し通した。念願の教育基本法改正も多数の力で果たし、07年度予算案も年度内成立を見た。さて今度はいよいよ大目的である憲法改正に向けてその前しょう戦というべき国民投票法案の通過にまい進することになるだろう。
こういう方向転換を国民は黙って見ているつもりなのだろうか。たしかに国民の大部分がかつての大戦争の経験、およびそこに至る経過の中に起きた陰惨な人権弾圧の歴史も忘れてしまった今、国家の権威の復活に郷愁を抱くのも無理はないと思うが、もう一度頭を冷やして大戦後60年にわたった平和がわが国にどんな繁栄をもたらしたのかを考えてほしい。
間もなく寿命が尽きようとする老人が自らの義務としても伝えておかなければならないという使命感から言わせてもらうのだが、私個人の歴史を振り返っても戦争前の20年間と戦後の60年では圧倒的に後者のほうが暮らし易い時期だったのは間違いない事実だったからこそ危機感を訴えたいのだ。
今の政府がやろうとしていることは本当に気掛かりなことが多い。何ごともなく通過してしまったから新聞でも大きくは取り上げなくなってしまった新しい教育基本法、これだってよく読むと本当に恐ろしい法律に思えるのだ。前回にも触れたことだが、旧基本法では「教育は不当な支配に服することなく国民全体に対して直接に責任を負って」と書かれた部分は新法ではこうなっているのだ。「教育は不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」となってしまった。
このことは旧基本法が固く禁じた教育ヘの国家や行政権力の介入に道を開く条文として重視しなければならない。これからはこの法律や他の法律によって国家が教育を統制して、組合や市民運動の教育批判を許さないという姿勢がはっきりしている。
また、旧法での宗教教育についての規定も「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」とあったのを、新法では「宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければばらない」とわざわざ「一般的な教養」の一語を挿入していることにも訳がありそうだ。はっきり言えば靖国参拝は国民の一般的教養なのだと言いたいのだろう。
このような経緯で作られた教育基本法通過のもと、政府は早速教育改革関連法案を提出してきた。これらが上述した「他の法律」の一環である。ところがそのうちのひとつに現在もある地方教育行政法の改革案があり、そこに地方教育委員会に対する国の是正勧告と指示権の新設や教育長人事への国の関与、現在は首長部局の監督下にある私立学校への教育委員会の指導等が盛り込まれた。現行法のもとでは文部科学省は地方の教育委員会に対して指導、助言はできるのだが指示の権力はない。また教育長人事はこれまで地方自治体の長の承認であったのを国がこれを行おうとするなど、露骨に政府の下請け機関となすべく動いて来ている。
しかしながら文部科学省傘下の中央教育審議会ではさすがにこれらを否決してしまった。もちろん中央教育審議会だってどちらかと言えば保守的な考え方の人間が選ばれて任命されているのだが、そのメンバーでさえ短時間でこんな重要事案に簡単に賛成する訳には行かないと結論は先送りにされてしまったくらいのものだ。
教育畑にいた私だから教育基本法の危うさばかり述べているようだが、安倍内閣を中心とする最近の日本の戦前回帰の風潮は極めて危険な徴候を示している。柳沢大臣の女性産児機械論、伊吹文部科学大臣の人権振り回すな論、菅総務大臣のNHK放送内容命令論などなど、この内閣の閣僚の発言には大きな問題が見えかくれしている。大臣が忠誠を尽くすのは総理ではなく国民に対してであるはずなのに、この内閣は為政者の言うことを国民は黙って聞けと言っている感が濃厚だ。
こんな風潮は野党の一部にさえも同調する姿が見られることも心配なことに思える。いずれ経済大国の地位は中国に取って変わられるというあせりもあるのだろうか。しかし日本の1300年ほどの歴史のなかでは文化的にも経済的にも中国の下に位置していた期間の方が遥かに長かったのに。
愛国心など騒ぎ過ぎることによって、これもまた伊吹大臣の発言にあったように日本人ほど同質性の強い民族はいないのだとすれば、下手な愛国心の鼓舞はナショナリズムを通り越してショービニズム(chauvinisme)となって、またまた「いつか来た道」へと迷い込むことになってしまうのではないか。
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