ホワイトカラー・エグゼンプション 戦後レジームの見直し?

給食費未納問題から考える

榊原烋一 【サカスト】
2007年1月26日(金)寄稿
1月27日アップ

以前【サカスト】において学校の常識は社会の非常識という文を書いたけれども、社会の非常識がやっと常識に近付いて来た。

それは文部科学省が学校給食費に莫大な滞納が生じているという発表だ。滞納児童生徒の数合わせて9万8993名、金額にして22億2963万円に達しているという。これはだいたい全国公立小中学校の児童生徒数のおよそ15%になるという。ひょっとするとこれは延べ数であって実数とすればもっと率は少なくなるのかもしれないが、それにしてもかなりな金額だ。

前に述べたように、学校では仮に親が給食費を払っていないからという理由でその子供に給食を食べさせない教師がいれば、マスコミあげての大騒ぎになろう。今は学校でのいじめが再びニュースとなるくらい世間の見る教育論とは不思議なものだから、もし給食費未納で教師が食事をストップし、そのあげく仲間から笑われたその子供が自殺したなどという事態が起きてしまったら、世論は挙げて教師を叩く側につくに決まっている。

この問題はどちらかというとNHKの視聴料不払い問題と類似したところがある。NHKの場合は受信機を持っていれば視聴料を払うように法律で定められている。しかしながら払わなかった場合にも罰則は何もない。給食費も同様で、憲法では義務教育は無償で行うことが決められているが、給食費は別の法律で支払うことになっている、だがこれも支払わない場合の罰則はない。

となると払っても払わなくてもいいものなら払わないほうが得だと支払いを拒否する人間も出てくる。NHKの場合は徴収した受信料をかってに流用するという事件が起きたから不払いにも大義名分ができてしまった。受信料を支払わない視聴者の所へ集金に行くと、職員の飲食費に使うような金は払えないと怒られる、集金人もこれには逆らえないのですごすごと退散せざるを得なくなる。学校も、もし給食費を払わない家庭の子供がいて、この子の給食をストップしたらへたをすると人権問題にまでなりかねない。したがって見て見ぬ振りをすることになろう。

二つの問題はしかし逆の面でも共通性がある。それは正直に支払っている人間が不平等な扱いを受けているという点である。視聴料をまじめに支払っても支払わなくても同じに視聴できるとなれば支払っている人間はおさまらない。それがどんどん増えてそのために番組の内容や質が次第に落ちてくれば支払っている人間には大きな損害を与える。給食もまったく同じで、予定された人間が予定された金額を納めるものという前提で一食当りいくらという予算が決定され、その範囲で栄養その他を考えて献立を決めている。

世間では学校の教師は給食を無料で食べられるから羨ましいなどとバカなことを言っているがとんでもない。教師だって給食費は給料から差し引かれているのだ。だから未納者が増えてくると一食当り単価をひき下げなければならなくなる。となればまじめに支払っている家庭の子供は支払わない子供のせいで次第に粗末な給食を食べさせられてしまうことになる。

学校教育の場では教育を受けるのは国民の権利であるから、経済的に支障があれば国や地方自治体はしかるべき援助を与えなければならない。だから給食費に対しても補助の制度がある。けれどもその金はあくまでも家庭に対して支払われるのが原則だから支給された保護者が他の目的に使ってしまえば学校には納められない。現在ではほとんどの家庭が口座引き落としで支払っているから残高不足で落ちなくなっても銀行はそのために集金をしてくれるわけでもない。だから最終的には未払いのまま卒業してしまう。

こんな子供のあとを追っかけ回して給食費を集金する余裕は教師にはもちろんありっこないし、最終的に学校給食を運営している自治体だってそのような仕事をするための職員を雇っているわけではない、ということで結局は食い逃げ状態となってしまう。その実態を調査してみたら今回の発表のように全国では22億円にもなっているということなのだ。そしてその被害は未払いの多い地域の学校に通ってきちんと金を払っている家庭の子供がかぶっていることになるわけだ。

アメリカのある州では給食の時間になると担任の教師が給食費を払っている子供の手のひらにスタンプを押す、そしてその手を食堂で見せれば給食が食べられるという所がある。子供たちはこれをハンドスタンプと呼んでいるが、つまり支払いがとどこおっている子供はスタンプを押してもらえないから食べられない、至極当然の話だ。

また他の州では給食を食べるか食べないかはまったく子供とその家庭の自由にしているところもある。そういう所の学校では給食を食べる子もお弁当を持ってくる子も一緒に食堂で食べている。ところがわが国では金を払っても払わなくても、全校給食となったらいっせいに全員に食べさせる、また食べさせてくれる、となればちょっと図々しく支払いを延期して卒業してしまえばそっちの勝ちだという人間が出てもこれまた当然だ。

教育再生会議なんて非公開の会議で子供の学力問題とか、いじめ、あるいは教師再研修制度なんて細かいことをいじくっていないで、給食費一つを取ってみても分る日本人の持ついい加減さでもあり、あるいは大らかさともとれる国民性をどこへ向けるかを、公開の場で堂々と論議すべきなのだ。教育を論ずることは国家百年の計として論ずるものであって、いじめる子を学校へ来させるか来させないかなど目先の問題ばかりを国家の段階でごちゃごちゃといじくっていては困る。

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