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榊原烋一 【サカスト】 |
自民党はマスコミの論調に押され、ついにこの法案の国会提出を見送る模様だ。よせばいいのにまたぞろ首相の好きなカタカナを並べるから、マスコミからは残業代ゼロ法案と名付けられ、これではたまらないと労働組合を先頭に一般サラリーマンにまで反対の世論が広がって来たから、間もなく選挙を控える与党としても世論を敵に回すのは得策ではないと議論回避策を取らざるを得なくなったようだ。
この法案はもともと最近のIT産業のように事実上勤務時間だけで仕事の内容や成果をはかることが困難な職業が増えて来たために、ある条件を満たす会社員を労働時間の規制から外そうというものであって、すべての会社員の残業代をなくそうというものではない、つまり、労働基準法の一部改正を目的としたものだと懸命に弁解をしているが。
たしかに産業社会は労働の成果を時間だけで測るだけには行かなくなっている。場合によれば1日中会社にいなくても自分の家で仕事を終えてしまうことの出来る場合もある。だから企業の経営者側からはもう少し労働時間を流動的に扱わせて欲しいという意見が強く出され、与党はそれに乗っかって法案を提出しようとした訳だ。もちろんこんな考え方はもともとアメリカ流の考え方に他ならない。
工場の現場で働くブルーカラーと呼ばれる作業員は時間で労働成果を決めることが可能な部分が多い。流れ作業で自動車の組み立てをする工員は、すべて同じ時間の中で同じ作業成果を出しているし、したがって反対に一人で時間を自由に使うことは出来ない。ラインが動いている間は労働時間であり、それがストップすれば勤務は終わりだ。
しかし最近のように頭を使って成果を出そうという仕事の場合には、その仕事の成果が必ずしも労働時間に比例しない部分が増えてくる。これを逆手にとって仕事をだらだらとひき延ばして残業代を稼ぐという手段をとる労働者も出現する。これは主として税金で食っている職業の人間にに多く見られる現象だが。
さてそこで考えなければならないのは理屈ではなく、文化の問題だ。さよう、最近の日本の右翼的文化人のお好きな誇るべき日本の伝統や文化を忘れてはならないということなのだ。
日本の文化の基本は和を尊ぶという点にある、とにかくよくも悪くも日本社会には7世紀初めの聖徳太子以来の伝統があるのだからあだやおろそかにはできない。すべて横並びが尊く誇りある伝統なのだ。したがって他の社員が仕事をしているうちに自分の仕事が終わったからといって、はい、さようならとは言えないのだ。まして上司から今日中になんとかしないと間に合わないのだ、と泣きつかれたら、それでも私の勤務は終わりましたと欧米人のようには割り切れない。
もともと正規の残業をしたところで残業代に限度があれば無料で残業をする、いや、させられるのが日本の文化や伝統であるのだということを忘れてはいけない。サービス残業が問題になるという後進国的労働条件が日本の中にはいやというほど残っているのだ。そこでアメリカの真似をしてホワイトカラー・エグゼンプションなどと横文字でごまかそうとするから、マスコミからも残業代ゼロ法案などと真実をえぐり出されてしまう。不思議なのはこういう時になると、知識人は日本の伝統も文化も口を拭って知らん顔をしてしまう。かれらの言う日本の文化や伝統というのは、たかだか明治以後、しかもそれは時の為政者が自分たちに都合良く作った伝統や文化でしかない。
いやいやもっとひどい事例もある。実は【サカスト】ではさんざん反対していた教育基本法が昨年末参議院で可決されて法案となった。この中にも大きな問題点がたくさん隠されているのだが、今回はその一例を上げてみよう。
改正法案での第16条はこうだ。「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。」
これを改正前の対応する条文と比較してみるとこうだ。旧基本法第10条「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」この二つをじっくりと比較してみよう。改正前は「教育は国民全体に対して国が責任を負ってする仕事」なのに対して、改正法では「この法律及び他の法律(これは基本法の考え方を受けてこれからどんどん改悪されるはずの下位法規)によって国や地方公共団体の思うように進める」ことになるのだ。
明治に帰ったと言ったが、実は明治はじめの日本はもっともっと開明的で西欧諸国に倣ってこうありたいと考えていたのだ。1872年(明治5年)太政官布告による学制は「邑(むら)に不学の戸なく家に不学の人なからしめんことを期す」として封建的、儒教的な為政者教育の理念を否定し、個人主義、実学主義の精神を涵養することを教育の目的とし全国民に自立の必要を訴えているのだ。言うならば日本の文化、伝統論者はここまでにも達していないということだ。
となると現在の改正教育基本法はついに江戸時代まで逆行してしまうことになろう。そんな日本の社会の中でのホワイトカラー・エグゼンプション法案、今回は選挙活動にマイナスだからと引っ込めてしまった。しかし選挙で勝利を収めれば当然またぞろ提案されて来よう。そして国民投票案、ついには憲法改正にまでいたる道筋が次々に作られて行くのだろう。
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