核武装論の行方は 安倍内閣は信じられない

「学校の常識は社会の非常識」?

榊原烋一 【サカスト】
2006年11月13日(月)寄稿

またまたいじめによる自殺が連続して起こっている。今度の場合はいじめ自殺者の出た学校の校長まで何人かが自殺するという始末だ。自分の学校の中でいじめが行われ、それに気づかず子供が自殺、その責任をとって校長も自殺、と言うと何やら美談めいて聞こえるが、そこまでになる前に管理者は学校内のそんな空気を察することに力を使うべきだった。

いつも死者にむち打つような書き方で該当者やそのご遺族には誠に申し訳ないとは思うけれど、教育委員会に報告しなかったことを悩むのだとしたら、それこそ中間管理職の悲哀を地で行ったようなもの、報告を上げるか上げないかは後の問題で、どうせ報告したところで各教育委員会が適切な処置をしてくれることを信じる訳にはいかない。

子供の自殺の原因とは本当に分かりにくいもので、マスコミではいろいろな識者にいろいろとしゃべらせてはいるが、その真実は死んだ本人にしか分らないというしかない。ただ一つ、これはかなりの確度をもって言えることだが、新聞やテレビで報道すればするほど連続して自殺者が出て来ることは明らかだ。かと言って事件は事件だから報道するなと言う訳にもいかない。

同じ状況は過去にもあった。1984年(昭和59年)冬、警察庁が少年非行の概要を発表した。そこでは、それまで吹き荒れていた校内暴力の嵐が次第に静まって今度はいじめが問題になって来たとある。その発表があってすぐ後の日教組の教育研究全国大会でもいじめの問題が大きなテーマとなっている。それから約1年ちょっとの間、日本の各地で主として中学生のいじめによる自殺が頻発した。そして最後に1986年(昭和61年)2月大事件が起きたのだ。中野区の中学校の生徒が親戚のいた盛岡まで行き、その駅の地下トイレで自殺、現場にあった遺書には「まだ死にたくない。だけどこのままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ。もう君たちもバカなことするのはやめてくれ」とあり、同級生二人の実名が記されていた。

この事件では生徒の担任教師までがクラスでこの子の葬式ごっこに参加したという事実が報道され、ついに政治問題にまで発展してしまった。東京法務局はこの事例を「人権侵害」問題としてとらえ、戦後初めての改善勧告を出し、東映教育映画部では「いじめをなくす」と題する教育映画まで作成した。

こうして社会の大問題となってからは不思議なことに表面的にはいじめによる自殺はぴたりと止まってしまう。いじめがなくなったのではない、いじめに関する報道がなくなったのだ。しかし火の種が消えたのでないことがまたぞろ流行的社会現象として再現されたことでも分る。20年もの間発火しなかったというのに。

前にも触れたように、学校というところはこの種の問題に非常に弱い体質になっている。それは被害者だけでなく加害者も自分の学校の生徒だということだ。学校は警察ではないから加害者を捕まえても精々お説教するだけしかできないのが大方の対処法だ。これこそ教育の力ではないかと言われるが後知恵だけならだれだってなんとでも言える。が、もし加害者を捕まえてへたに説教して今度はそちらの親から人権問題だなどと訴えられれば、学校は謝るほかに手が出ない。したがって分ってはいても見てみぬ振りをしてしまう。その結果被害者が自殺などしようものならまっ先に学校は袋だたきに会ってしまう。

そんなとき、学校の常識は社会の非常識などと分ったような顔をした評論家が現れるのだ。ただしこのような見解がまかりとおること自体、本当は日本の社会全体が非常識なのだということに気付かない勝手な評論家の意見に過ぎない。

まず、日本の先生は一般的に24時間先生であることを要求される。放課後に起こった事件でもすべて学校の先生の指導の問題とされてしまう。欧米の学校ではこんなことは絶対にない。学校外で問題を起こせばこれはすべて親の責任となってしまう。逆に校内の事件であれば学校はとことん責任を負わされるからそのかわり処罰も厳重だ。

具体的な例を挙げてみれば、欧米の学校で給食が行われていて、もし親の事情で給食費をはらえなくなったらどうなるか。この生徒は当然給食を食べられなくなる、というより食べてはいけないと禁止される。また、どんな事情があっても勤務時間外に親から子供の指導について質問があっても、そんなことに取り合う先生はいない。

こういうことがいわゆる社会の常識なのであって、学校が非難される日本の社会の方が非常識なのだ。一般社会で無銭飲食をすれば警察に突き出されるし、閉店後のお店に品物を返しに行っても受け取ってもらえない、これが社会の常識なので、学校だけがその常識の埒外にあることこそ不思議な現象なのだ。

これを裏返して考えれば、日本の学校教育は教師の権威、教師の教育力を世界の何処よりも高く評価していたということだ。一昔前ならば、学校で先生に叱られた子供が家に帰って親に言い付けようものなら、一言のもとにお前が悪いと一喝されてしまった。だから子供は先生の言うことを聞いた。

現在の日本は妙に中途半端に権利意識があり、反対に妙に中途半端な情緒的側面が残っている。つまり社会全体がまだ未成熟で自立していない社会と言うことが出来よう。こんな中で要求だけは昔の教師のような権威を持った者と同様に押し付けられるから、最近教師の精神疾患が増えたことも不思議ではない。

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