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榊原烋一 【サカスト】 |
またまたいじめ問題だ。いじめを苦にして自殺した子供が出た。報道が大きな問題にしたのは、その陰に教師がからんでいたのではないかということ。もともと、自殺の理由は分らないことが多い。今回の事件も遺書があってはじめて自殺の原因がいじめであるらしいこと、またその陰に教師の言動が関係しているらしいことが報道されている。ことの真実はまだ不明だから学校や教育委員会を一概に非難することは控えたい。
もともと日本人は大人になってもいじめをしたがる人種のようだ。経済学の調査によっても欧米人に比べ日本人には利己的行動のほうが利他的行動より多いという結果が出ているらしいし、どちらかと言えば他人に対して意地悪な傾向が見られるそうだ。
かなり前になったけれども、東京の某区でまったく同様な事件があった。この時も生徒がいじめを苦にして自殺、しかもその原因の一端に同じように教師が加担していたということでこの事件の場合はっきりとしたから校長は責任を負って懲戒免職、その後この校長先生は退職してから間もなく病死。事件がそうさせたのかは分らないがいずれにせよ子供にも教師にも双方ともに悲しいできごとだった。
亡くなった校長には気の毒だがこの種の事件に鈍感であった管理職にも責任はある。そして、今度の事件も教師がからんだいじめ自殺だということがメディアを賑わわせた。ただし今回は北朝鮮問題という国際的大問題が騒ぎになっていたから、この子供の家族からの訴えを知って初めて報道機関が追っかけて騒ぎ出しもの。
親としてみれば自分の子供が自殺したということは大きな事件だ。だれだってその理由を明かにしたいのは当然。しかし学校も教育委員会も事件になるまではほったらかし。その前の北海道の事件などは、1年間もほったらかしたあげく死んだ子の遺書までなくしてしまったという。そんな重大なものを役所だって係の一存で紛失するはずがない。これは自分たちにとって都合の悪いことはまず隠せの意志がどこかで働いているに決まっている。どっこい最近の日本国民は、お役所が隠せば反対に本当は自分だって明かしたくないことでさえも真実ならば公表しよう、と変化しているのに知らぬはお偉いさんばかりとう次第だ。
いじめの問題はその大部分はまず学校内の交友関係の中から起きる。したがって教師が敏感なアンテナをはっていればかなりの問題は学校の中で解決しているはずだ。ところが解決されてしまった場合にはニュースにはならない。だから日本全国ではむしろ教師の力で解決されている事件の方が圧倒的に多いのではないかと信じておきたい。
私がかつて校長を勤めていた中学校でも同様の事件があった。そんな気配が感じられたので、ある日,朝礼のおりに次のような話をしてみた。昔、ある県で暴力団が町を占拠し住民が恐ろしくて町を歩けない状態だった。それを知ったある新聞社の地方版の記者が、これを大きく新聞で取り上げた。もちろんその非を訴えたのだ。
当然暴力団側から新聞にいやがらせの電話がかかってくる、それも次第に脅迫まがいになってくる。しかし屈せず地方版で報道を続けるうちについに住民が立ち上がった。もちろん警察も協力して暴力団の住居の周囲に毎日のように住民が交代で張り込んだ。そして最終的に暴力団を町から追出してしまったという実話である。
そんな話をした数日後のこと、私が出張から帰って校長室に戻ると、机の上に1通の手紙が置かれてあった。何かと思って読んでみるとそれは3人の生徒からの匿名の手紙で、そこには私の思った通りに3年生の中にいじめが起きていることが書かれ、自分たちもだれがやっているか分ってはいるが仕返しが怖くて言い出せない旨が書かれていた。
これは当該学年だけの問題ではなく全学年の問題にすべきと考えて、私は生徒会担当の若い教師と、生徒の役員数人を集めて、まず生徒会で可能なことを自由に考えてごらんと解決を任せてみた。朝礼の話が効果があったのか2日ほどして生徒の代表が私の所へやってきて、私たちに1時間の時間を下さいと言う。もちろん私は喜んで時間を工夫して全校一斉に体育館に集合させた。
行ってみると驚いたことにステージの上には生徒会役員の生徒数人が机を並べてすわり、全校生徒に向ってこれからアンケート調査をするので、先生方はまわりで見ていて下さい、生徒全員は隣の人に回答を見られないように離れて座って下さいと指示して自分達で作ったアンケート用紙を配付した。
このアンケートの結果、いじめをしている人間が実在していること、いじめられた事実などが明らかになってきた。しかし、ここからが日本の社会の難しい所で、いじめをしている生徒も同じ学校の生徒なのだからその名前を全校の生徒に知らせることにも問題が起きるてくる。そこでここまでやってくれたことを賞賛しながらも生徒会の役員に結果についての処置は先生方に任せることを約束させてこの問題に対処することとした。
驚いたことにその後すぐ3年生の数人が校長室に現れて、私たちがやりましたと言う。しかも弱そうな子や下級生の数人に暴力や脅しをかけたことをそれぞれに話し出したのである。もちろん厳重な注意は与えたが、その後この種の事件はぴったりと跡を絶ってしまった。自慢話をするつもりではない、つまり教師は子供のもつ様々な顔にそのくらい敏感でなければならないこと、そしてなによりも子供のもつ正義感を全力で助長し支持して行くことがこの種の事件の対応として欠かせないものだと考えるから、このような話しを書かせてもらったのだ。
最後に、若い人たちにはどんなに辛いことがあっても自分の命を棄ててはいけないと言いたい。死ぬほどの勇気で相談相手を探せば、そこには必ず解決の手段があるのだということを信じて生き抜いて欲しい。
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