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榊原烋一 【サカスト】 |
14年前から旧制府立中学校校歌祭なるものが毎年秋に日比谷公会堂で行われている。もとはというと旧制高等学校の寮歌祭がかつて行われていたのだが、そろそろ寮歌なるものを歌える人間が数少なくなり、それに変わって東京府立中学校の卒業生たちが校歌を互いに披露し合い、同時にかつての少年時代を懐かしもうという、言ってみればアナクロの連中の集まりと言ってもいい会合だ。今年もこの会が10月7日同じ日比谷公会堂で行われ、私も都立西高OBとして合唱の指揮をしたばかりだ。
現代の方々には分かりにくいだろうが、戦前の日本の教育は義務教育は6年と定められていた。これは現在の小学校と全く同様だがその後が違った。義務教育を終わるとそれからは進学するか就職するかは家庭に任される。経済的に余裕があれば試験を受けて男ならば旧制の5年制の中学校へ、女ならば同様の高等女学校へと進学した。
ただし、進学できなかった子供もその後2年間は高等小学校という制度があったから、それを選んで最終的には13歳ないし14歳になって就職することもできた。そして中学校ないし高等女学校に進学した男女はさらに上級学校として高等学校、あるいは専門学校へと進むことが出来た。ただしこのいずれもが男女別学だから、女子は当時から女子大学との呼び名はあったが、教育制度の中で正式には専門学校扱いの学校へ進むことが出来た。
戦前の統計によれば、義務教育を終えて中学校ないし高等女学校へ進んだものは同年齢の人口の約20%だった。さらにその先の旧制高等学校へ進学すれば、国立大学は選びさえしなければ100%進学できたのだから、当時で言えばエリート中のエリートと言う訳だ。高等学校のほぼ大部分は全寮制度、ここで彼等(彼女はいない)は大学進学も約束されて、現在で言うとところのリベラルアーツ、つまり自由な教養を身に付けることが出来た。
その中から各高等学校は寮歌なるものを産み出して行った。そのすべてが学生の作ったもの、つまりお仕着せではなかった。したがって寮歌を歌うことはすなわちエリート意識をくすぐるある意味で階級社会の先頭を行く快感があったはずだ。とりわけ国立大学のない(当時は帝国大学と呼んだ大学)地方では最高の学問機関となるから、その街きってのエリーとであった訳だ。
旧制高校の中でもナンバースクールと呼ばれた第一高等学校(現在の東京大学)から第八高等学校(現在の名古屋大学)までの各高校はその他の高校より突出して優秀とされていた。これらの学校の生徒数はほぼ旧帝国大学の学生数に見合っていたから、ここに入ってしまえばその後3年間は学校と学部さえ選ばなければほぼ確実にどこかの帝国大学へと進学できた。
こういう制度はよい意味での指導者階級を産み出すのに適していたかもしれない。つまり受験勉強のためにあくせくする必要がない青春時代を享受できた彼らはその時間の大半を利用してもっぱら哲学、文学、芸術など自分の興味ある分野の学問を自由気ままに探究することが出来たからである。本当の教育とは実はこのような自由な時間の中から産出されるのだということは、学校―SCHOOL―の語源がギリシャ語で余暇を使って学ぶ、ということからも分るはずだ。
このような恵まれた教育を受けることが出来たのは、もちろん経済的にも余裕のある家庭の子供が大部分を占めていたことは当然だったが、ここで留意すべきは、当時は家が貧しくても勉強を続けたいとの志をもつ子弟に対して経済的な支援を行う富裕層がたくさんいたという事実である。たとえば同郷の貧しい学生を書生として雇って勉学を続けさせるとか、私的な奨学金制度を設けて彼等を援助するなどのある種の慈善行為をする金持ちがかなり存在していたことだ。
現在でも奨学金制度は存在している。しかしその殆どは公的な資金によったものだ。国や地方自治体、あるいはそれらの外郭団体がこの制度を受け持っているだけで、個人が自分の資産でこのような慈善行為を行う例は日本にはほとんど無いに等しい。
今年の7月、アメリカの著名な投資家が円換算で4兆3千億円という莫大な金額をマイクロソフトの創始者ビル・ゲイツ夫妻が創設した慈善活動財団へ寄付したニュースが流れた。金額が桁外れに大きかったことと、この寄贈者が同じく大資産家であるウォーレン・バフエットであったことがメディアを賑わわせた。バフエット氏はその理由をこう語ったと言われる。「自分には投資家として富を増やす能力はあるが、慈善家として富をうまく社会へと還元する能力ではゲイツ夫妻にはかなわない。」
アメリカと日本とでは寄付金に対する税金のかけ方が違う。アメリカでは一般的にこのような慈善行為に対する寄付金の場合はおおむね無税だが、日本ではごく特殊な寄付金以外はその殆どが税金対象の金になってしまう。欧米の金持ちが喜んで寄付をするのはキリスト教の精神があるからかもしれないが、日本だって慈善行為に関する寄付金は税金対象にならないとすれば結構資産家からの寄付があるかもしれない。
つまり現在の日本ではそのような富の再配分を税金という形で一度国へ納めさせ、それを社会保障という形で国民に配っているのだ。この形もあながちすべてが悪いと言う訳ではないが、その過程の中で膨大な無駄遣いが指摘される今の日本では、この問題だって官から民への発想が考えられてもいいのではないか。
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