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榊原烋一 【サカスト】 |
【岸コラ】はまたまたいいところをついてきた。夕張市の財政破たん、いずれ日本全国あちらこちらで同じ現象が起きるであろう現象の一例に過ぎない。
個人だろうが法人だろうが、国であろうが地方自治体であろうが、借金は借金、貸す方は貸した金が間違いなく返ってくること、そしてその間に若干の利息収入が見込まれてくること、最後は借りた方が破産したときに保証してくれる人間がいることを信頼するから貸してくれる。国が保証してくれる借金ならばまず絶対安全と考えて貸す人間がいることも当然だ。これこそ戦後60年経ってしまった日本人がボケてしまった現象のひとつだ。
われわれ世代は戦争中に戦時国債なるものをいやというほど買わされた。もちろん、私が買ったのではなく親が買ったのだが。それが、敗戦と同時にすべて紙屑。凄まじいインフレの到来で銀行や郵便局に預けていた預貯金は引き出しまで制限されるありさまだ。
国家がいつどうなるか、民族が消滅するか分からないことを先祖代々教育された民族は、お札なんか信頼はしない、あくまでも現物、特にどんな世の中になっても価値のある貴金属などをかかえている。ただし最終的に金を売って食糧に換えることは出来るかもしれないけれども、金を食べて生きることは出来ないから、そんな人間はおとぎ話の世界だけに登場して嘲られるわけだ。
話を本題にもどそう。もちろん法治国家である日本では国家の収支に関しても厳密な法律の定めがある。つまり国民から集められる限りの税金収入、現在のように国際的な収支の上で儲かる部分もあるから厳密には国民が払う税金だけではないのだが、どうあっても会計の原則は単一で、入った収入の範囲で支出をすることになってる。
しかしひとたび戦争となれば話は別だ。金がなくなったからやめますとは言えない。なくなれば負けだ。戦争とは消費だけがあって収入は全くない。儲かる商売ももちろんある。兵器を作る仕事、その原料を輸入する仕事、あるいは兵隊一人一人の着る衣服や靴、これらの産業は戦争があれば必ずそのときには儲かることになる。前にも投稿したが報道の世界などは大事件があればあるほど儲かる仕組みだ。
ここで落ち着いて考えてみよう。戦争は常に消耗だけであって生産的なものとはならないことを。一部、科学的、工業的な部門などである意味で進歩があるかもしれない。ただその裏には莫大な人命の犠牲があってのうえだ。そして勝っても負けても残るものは膨大な借金だけだ。勝てばその借金を敗戦国から賠償金として取り上げることも19世紀までならできたかもしれない。しかし人権問題の喧しいグローバルな現代では下手に勝ったために負けた国民の生命の維持までも戦勝国民の税金で賄わなければならなくなる。つまり、戦争は納税者の立ち場からしても絶対に計算に合わない事態になってしまっているのだ。
小泉さんは、いたちの最後っぺよろしく退任寸前に敗戦記念日の靖国参拝を実行した。外国からの干渉は許さない、総理就任の際の公約は絶対守る、との決意は一応もっともらしい理屈だから一部の国民は喝采をした。しかも今まで文句を付けていた中・韓両国からもそれほどの反応がない、それは当然で、はじめっからやめると宣言している人間の行動に文句をつけてもどうにもならないから黙殺しているだけだ。黙っていること自体が日本の後継者に対する圧力になることを承知しての話。
またまた本題から外れてしまった。問題は単一会計の原則だ。収入で支出を考える、個人の家計でも同様なのだが世の中の亭主はいろいろと小遣いを作るために工夫をする。出張旅費からひねりだしたり、サイドビジネすをこっそりやってみたりするおやじはどこにでもいる。旦那は自分で楽しいかもしれないが家計にとってはなんの足しにもならない、が、消費だけはその分増えるから経済活動は活発になったようには見える。
国家としてみると、特別会計がこれに当たるような気がする。これもそもそものはじめは戦時国債から始まったのではないのか。それに懲りた政府は戦後一貫して収支のバランスをとることに専念したが、そのうちに例外的措置としての特別会計を次第に増やしてきた。もちろんこれは国会の議決が必要だ。自、社対立の慣れあい政治が慣習となるうちに、両党議員とそれぞれの支持者のおねだりが慣行となってきた。いわゆる利益誘導型政治だ。
ここに目を付けたのが予算獲得のためには悪魔にでさえも魂を売ろうという役人ども、利益誘導に夢中な議員様にやたらに知恵をつける、道路財政、国鉄財政などは誰にでもわかる族議員とそれを利用する官僚の仕業だった。小泉さんはその財源の根っこを断とうと郵便貯金の民営化に手を付け、まずその手先となる道路公団の民営化に乗り出した。結果は皆様ご承知の通りのいい加減なものでしかない、すくなくとも中曽根行政改革時代の国鉄民営化の成果のほうがはるかにすばらしかった。
現在の国家予算は約80兆円くらいだが、しかし毎年国債の発行はいまだに30兆円必要だ。総理は公約として国債発行高を30兆以内にとどめると吠えたが、それはいまだに達成されていない。野党からそこを突かれると、そんな小さな公約どうってことないじゃないかと開き直ったのに、靖国だけは公約だと頑張るのはおかしいんじゃないの。おっとまた横道にそれた。
さてそんな特別会計は今年も270兆円ほどあるそうだ。使い道は所管の官庁の自由、決算報告も国会の承認の必要はない。余れば特別会計の目的の中で使い切ってしまえばいい。例えば道路建設特別会計は毎年黒字だ。ガソリン税をはじめ車関係の税金はすべてここに入ってしまう。この税金が作られた当初は車を持つことは贅沢だと思われていたからいろいろな税金がかかってもそれを負担できる富裕層は文句も言わなかった。今になってみると道路整備特別会計は膨大な金額になってしまった。しかしこれは道路を作ることが目的だからそれ以外の用途には使えない、だからいまだに車より熊の数の方が多いという道でも造り続けられる。国民年金特別会計が潤沢に入って来た頃の担当官庁である社会保険庁のデタラメな使い方に憤っていたのもついこのあいだのことだ。
同様なことが地方公共団体でも起きているし、場合によればそこに国が一枚もニ枚も加わっていることも少なくない。建物を建てる、補助金が出る、橋をかける、補助金が貰える、ただしそれらの維持、管理は自分でやれだ。だから税収の少ない自治体の住民はすばらしいホールが出来たと喜んでいるうちにその建物の電気代も払えないという事実の前に愕然としなければならなくなるのだ。自治体のおえらいさんがたも私の時代にこの道路を造った、このトンネルを掘ったと銅像を建ててまで税金の無駄遣いをする。
市町村であっても金が足りなくなれば地方債を発行することが出来る。だからどこの自治体も借金まみれの状態になっているところが多いことは国と全く同様だ。その結果再建団体となってしまう恐れのあるのは夕張市だけではない。
さて、この借金は誰が返せばいいのだろう。そして金余りの時代に無駄遣いをした責任はだれが負ってくれるのだろう。これからの日本はどうなって行くのだろう。国民は黙って税金だけ払っていろと言われながら打つ手もないのだろうか。民主主義国には幸い選挙という制度があるのだ。国民一人一人が今こそ1票の重みを本気で考える時なのだ。
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