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榊原烋一 【サカスト】 |
昭和天皇の靖国参拝に対する当時の宮内庁富田長官のメモが日経新聞にスクープされてから数日が経過した。私にとっては青春まっただ中であった頃での敗戦記念日がまた近くなって来た。8月6日のヒロシマ、続く8月9日のナガサキ、そして8月15日の無条件降伏、これは日本の歴史だけでなく世界史のうえでも永く記憶されるべき事件であったしその中で青春時代を送った一人の人間としてやはり書き残しておきたい感想がある。
まさに今、 NHKでは巨人、横浜の実況をしている。おそらく年度を通じての契約だから仕方がないのかもしれないが、どうしてNHKが買うとビリ争いになるのか、これも官僚体質のNHKの悲しい性なのであろうか。
日経新聞はこの大スクープ(もちろん日本国内だけでの)に喜んでその後社会面で「昭和天皇との10年」なる連載をはじめた。その中身はいみじくも【岸コラ】主筆が言うようにそれこそこんな連載なら女性週刊誌だって買うはずはない、と思われる空疎なもので、単に私と昭和天皇とはこのくらい親しかったという宮内庁長官としての感想文だけ。この事実ひとつを見ても現在のマスコミ記者の教養のほどがうかがわれる次第だ。
しかし、そのなかで私の目をひいた数行の部分があった。それは8月5日付日経朝刊にあった部分だ。以下にその部分を引用してみよう。
生前の富田氏の話によると、菊の間には書類などを閲覧する大きな机があり、その前にいすが2脚あった。富田氏が部屋に入ると、天皇は「座りなさい」と右手で指し示し、戦争のことなどを語り聞かせたという。(ここはあくまでもメモからではなく記者がそう考えたのだろう)。
ここからが私の言いたい部分だ。以下また引用する。
富田氏は対米英戦争開戦の詔勅の話を1997年、東京で開いた講演会で披露している。天皇は「ある言葉をぜひ入れたかった。しかし、だめだったんだよ」と残念そうに話したという。それは日露戦争で明治天皇が出した「国際条規の範囲において一切の手段を尽くし、遺憾なきを期せよ」という詔勅の部分だった。天皇は最後の記者会見(88年4月25日)で「大戦が一番嫌な思い出」と語った。晩年、戦争での苦悩をまるで遺言のように富田氏に語り続けていた。(この文の最後の30字ほどはこの記事を書いた記者の考え方であって、こういう書き方をするからマスコミは信用されなくなる。正確なのは昭和天皇の言葉を富田氏が講演で語ったという事実の部分だけだ)。
ここに日露戦争の開戦の詔勅と太平洋戦争の開戦の詔勅を並べる労は省きたい。なぜなら双方ともに古い文語体でしかもワープロで扱いにくい旧漢字ばかり使われているからだ。しかし、この一文を読んだとたんに旧制中学で二つの詔勅を比較した、なんの教科だか忘れたが授業中の先生の発言のことを鮮明に思い起こしたのだ。
日露戦争開戦のおりの詔勅には国際法規を守れ、という文章があったのに、太平洋戦争のそれにはなかったという事実だ。これを当時15歳だった私の受けた授業を思い出させてくれたのだ。確かにその通りであった記憶がある、ここはおかしいぞとその当時の先生が授業中に指摘したことを。
詔勅というものは当時の日本においてはすべての法律にまさる権力があった。けれども天皇が自分で書くはずはない。だれかがその意図をもって作成するに決まっているのだ。帝国憲法でも輔弼の責任は明確に書かれていたのだ。つまり戦前に右翼勢力によって弾圧された美濃部博士の天皇機関説がまさに正しかったのだ。それが当時の帝国議会において右翼的学者とそれに悪のりした軍部、とりわけ陸軍軍人によって葬り去られた。ということは逆説的に言えばすべては天皇の責任としてしまう訳になったのだ。
昭和天皇(当時の日本の最高元首だ)が宣戦布告の詔勅に日露戦争と同様に、戦争は頑張れ、しかし、国際条約の範囲は逸脱するなという明治天皇と同様の意志をもたれたにもかかわらず、それが成就されなかったのは誰の仕業だったのか。天皇は敗戦翌年の1946年元旦に、私は神ではなく、人間なのだという詔勅を出さざるを得ない状況になったのだ。
靖国神社問題の原点を日本人が自国の歴史として反省すべき大きな証拠がここにもあるのだ。天皇自身が気にかけていた問題を、輔弼の責任をもっていた当時のだれか(個人的には東條首相をはじめとした当時の閣僚たち、ならびにそれにプレッシャーをかけ続けた日本陸軍の上層部だと信じている)がそれを押しとどめてしまったということだ。
最近日本の有識者の言動がなんとなく戦争前の様相を帯びて来た。靖国問題もその中で考えられなければならない。政治家はしきりに外国の干渉は受けない、と言い出しているが【サカスト】は一貫してこの問題は国内の問題だと叫び続ける。しかも戦時中、神にまで祭り上げられた天皇が本当にすべての権力を握っていたのだとすれば、戦争責任のすべては昭和天皇が負わねばならなかったのだ。戦争裁判もそれを熟知していたアメリカが主導して天皇の責任を不問とした。そして占領政策は天皇の名によって見事な結果を見ることが出来た。
しかし、開戦の詔勅にまで天皇の意思を無にした人間がいた事実がはしなくも暴露されて来たのだ。たった召集令状一枚で食べ物もなく武器もない戦場で餓死させられて英霊との名前で葬られ、同じ神社に天皇の意思に反してまで国家を滅亡の危機に招いた戦争責任者とともに祀られ、そこへ堂々と参拝することが日本人であると豪語する政治家がいるこの矛盾になぜ日本国民は気付かないのだろうか。
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