【岸田コラム】頑張れ 社会保険庁問題

愛国心、絶対反対

榊原烋一 【サカスト】
2006年5月22日(月)寄稿

数日前の新聞にこんな記事が出ていた。その見出しは「『第3のビール』増税、値上げせず」だった。内容をかいつまんで言うと、ビールメーカーが苦心の末発泡酒に続き、税法上の穴を潜って作り上げ、原料に麦芽を使わずにビールと同じ風味、しかも税金が安い第3のビールを作り上げた。だから売れた。これに対して国税庁、つまり政府は増税を盛り込んだ酒税法改正をした。一番安い第3のビールの税金を上げれば、税金の高いビールに需要が流れるはず、と踏んだ国税庁の思惑は今のところ当て外れだという。

その理由は、小売り業界が税金分の価格を負担して、値上げをしなかったからだ。そこで国税庁は「税率の見直しは、原則、販売価格を通じて適正に転嫁するべき」との通達を出した。役人側の言い分はこうだ。「これは決して安売りを規制している訳ではなく、大手メーカーに対して弱い小売り業者を保護するもの、その故に通達文の中には「価格は企業の自主的な判断」という文言が入っていると言う。「メーカーが優越的地位を利用して中間流通業者に増税分を肩代わりさせないため」だってさ。役人とはうまいことを言う。

一番優越的立ち場を保っていたはずの役人の計画も、市場経済の中では利き目がなかった訳だ。これこそまさしくあからさまな裁量行政というもの。法律ではこうは言っていませんが言うこと聞かないとあとが恐ろしいよ、と言わんばかりの役人言葉。ところが市場は増税分を自らかぶっても価格を上げないという現実が出て来てしまったのだ。

今から60年前までの日本はこうではなかった。大本営で現地の情勢も知らない高級参謀が図上で戦場の演習をしているうちに、何百万という兵隊が文句も言わずに死んで行った。「お国のために」「天皇陛下のために」。

現在の日本ではとにかく取れる所からは税金は取らねばならない。しかし市場経済の知識がある程度行き渡ってきた日本では、商売人は税金を自分で背負っても売るものは売らねばならない、だからそれは国税庁の思惑通りの税収には結びつかない。これが市場経済というものだ。

【岸コラ】が今回金融関係の問題を出して来た。経営者の好き嫌いは別にしても、金融業界だってすごくいい加減なものだ。現に前期の大手銀行の決算は大黒字だ。潰れそうな銀行に国民の税金を注ぎ込み、おまけに預金の利子はただ同然、しかも合併ばやりで大手寡占状態、今、銀行へ零細預金者が行って御覧なさい、定年退職で案内係をしてるようなおじさんたちまでもが大いばりだ。それというのも国民みんなで泣きの涙で助けてやった挙げ句のことだ。

そんな中でもっと怖いのが、教育基本法改正だ。その目玉は愛国心問題だ。教育基本法なる法律は、アメリカ占領下で、戦時中の日本が一番過ちを犯したのが教育だった、と日本人が反省したのか、アメリカが命令したのか、いずれにせよ憲法に次ぐ基本法を作ったのだ。

日本人の何パーセントが憲法を知っているのだろうか、まして教育基本法なんて読んだことのある人が国民のどれだけいるのだろうか。だからここに愛国心を入れると言われても国民は騒がない。なにしろ知らないのだから。教育基本法の下には学校教育法以下の諸々の教育関係法規がある。そして末端には学習指導要領、そして、通達行政がある。日の丸の前で立たないと処罰するなんてね。

教育の世界は市場に馴染まない、しかもすぐれて心の領域に入って来てしまう、だからこそ敗戦後いち早く戦前の過ちが教育のありかたにあったとして教育基本法が出来たのだ。それ以前の教育の基本は明治23年の「教育勅語」だった。これだって無茶なことばかり言っていた訳ではない。これを利用したお偉いサンが悪の根源だっただけだ。

愛国心とは何ぞやと聞かれて「家庭、ふるさと、うるわしき祖国の自然」などと理由付けをする。そのどれもがその通りであって欲しい。またその通りであったならば愛国心なんて騒ぐ必要があるのだろうか。家庭はどの国の人間にとっても人間集団の最初のつながりだ、しかし現在の日本では今や危機状態。ふるさとは、過疎、高齢化、でこれまた危ない。うるわしき自然、これは為政者の号令と金もうけに走った国民のどん欲で見るも無惨に壊れかけている。そんな中で現実の国民は何を愛すればいいのだろう。だから威力を発揮するのが抽象的概念の愛国心となるから怖い。

憲法を変えるのは現実的にはかなり難しい、しかし教育基本法は下位法規だから、わが党が多数をもつ今のうちに変えておこう、こんな発想が目に見えているから私は絶対反対だ。

自民党政権だから反対だというのではない。民主党だって同じだ。共産党と公明党が政権をとったら国民皆兵の時代が来るか、国家宗教は日蓮正宗になるか分ったもんじゃないという不安定な日本の中で、為政者の言う、官僚の言う愛国心を簡単に許していいんでしょうかね。それよりもこんな言葉を再び流行らせることがいいんでしょうかね。

でも私は、ワールドカップでは日本を絶対に応援はするけれど。

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