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榊原烋一 【サカスト】 |
今朝の新聞にあった記事で驚かされた。それは独占禁止法が改正されて、談合に対する公正取引委員会の権限が強くなったために、各社とも社内制度の見直しに本気になっていると言う記事だ。ここのところ談合事件で大手建設業、重工業、造船橋梁各社などが相次いで摘発された。中には株主代表訴訟で大企業の会長、社長らが数十億円の損害賠償を訴えられているそうだ。経営者個人の資産までが損害賠償の対象にさせられるのでは、いくら大企業の経営者としてもうかうかとはしていられまい。
さて驚いたのはその先だ。談合取締が厳しくなったおかげで、北海道のあるダムの建設工事の落札率がなんと46.5%で収まったというではないか。落札率とは発注側が内々に決定していた工事の予定価格に対する落札価格の率のこと、従来はこれが95%を超えるのが常識だったと言う。つまり10億はかかるつもりで入札させると、これまでは9億5千万くらいで落札されていた工事が、談合の取締を厳しくしたために4億6千万でできたということになる。
この工事の発注者がどこであったかこの記事からは明らかではないが、ダムの建設となれば国か地方公共団体のどちらかであることには間違いなかろう。つまり税金がそれだけ節約されたということになる。
また5月1日からは会社法が改正され,会社設立の自由度は高くなるが代わりに会社経営者の説明責任や経営の透明性は厳しく問われるようになるという。最近のこれらの事実を見ていると、やっと日本の立法者側もルールとは遵守すべきものと考えだしたなという実感が湧いてくる。と同時に、これまでの日本とはいかに税金を無駄に使っていたものかとの感慨ひとしおだ。
もともと明治政府は西欧に倣って法体系を整備した。既にその頃の西欧では法律とは自分たちがこれを作り、したがってそれを遵守するのが当然という暗黙の了解があったはずだ。ところが、形式だけを西欧に倣ったものの、日本人の文化風土には、法律とは為政者が国民を従わさせる道具であり、国民の側はお上から強制されるものと捉える土壌が現在までも残存していた。だから、国民は法律をいかにくぐり抜けるか、そして官僚は法律をいかに自らの権威の裏づけとするかに知恵を使っている。
私の僅かな海外での体験によっても、オランダでは切符売り場はあるが改札口はない。しかし旅行者はきちんと乗車券を買って列車に乗る。また、スエーデンで経験したことだが、日本ならばパーキングメーターのあるような路上の駐車区画に車を止めるときに、時計のような図案の紙を買って、自分が駐車した時間の部分を自分で切り取ってフロントウインドウに貼っておくのだ。つまり自分で自分の駐車した時間を自分で申告してその分の料金を支払う方式になっているのだ。
ささやかなこんな例を見ても、もしこれをわが国で実施すればどういう結果になるかは火を見るよりも明らかだ。6月からは駐車違反の取締が民間に依託されるという。取締を厳しくするのはいいが、あちこちでトラブルが起こりそうだ。なにしろ警察が取り締まっていてさえ違反者がすなおに認めようとはしないのだから。見つかったのは運が悪かったからとの認識しかないのだから。
さてまた談合問題に戻るが、そうなるとこれまでに我々はいかに無駄な税金を払っていたのかということになる。財務省はさかんに増税の必要性を打ち出す、そして官僚の道具になった谷垣大臣もその路線に乗っかっている。けれど官僚の無駄遣いはいくら指摘されても謝るだけで金銭的にその損害を賠償する訳ではない。
結論を急ごう。これからの日本では客観的に増税が必要になることは理解できる。現政府も及び腰ながらそれは認めつつ、一応は歳出削減が先と叫ぶ。そのためには公務員を削減すると唱える。公務員と言ってもその大部分を占めているのは実は教員と警察官なのだ。この両者は現在でも必要数を満たしてるとは思えない。国民の教育と治安の最前線にいる公務員は減らして、訳の分らない特別会計でうまい汁を吸ったり、あるいは無責任な談合で税金を湯水の如く使う公務員こそ削減すべきだし、またケースによっては損害賠償の責めを負わせるべきである。
さらに増税でもっとも手っ取り早いのが消費税アップだが、これも現状では絶対反対の立ち場を譲る気はさらさらない。その理由は、ひとつは益税を禁止していないこと、国民が払った税金をいくら小企業とはいえ自分の懐に入れて良いなどとは言語道断だ。次にこれは前にも言ったが逆進性の問題、月100万稼ぐ人でも10万しか稼げない人でも食べる量にそれほどの違いがあるはずはない。この解決がなんら議論されていないこと。第三に手っ取り早く手に入る税金なればこそまたまた無駄遣いされるに決まっているという官僚不信の念が私には強いこと。
ということで今のところ私の増税反対の姿勢は変わることがない。
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