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榊原烋一 【サカスト】 |
先日某テレビ局のニュースを見ていたら、東京都内のある区では就学援助を受けている家庭が、子供に義務教育を受けさせている家庭の46%に達しているという。
就学援助は生活保護とは別に,義務教育は無償という建て前はあっても子供が小中学校へ通えばランドセルは買わなきゃならない、文房具も必要、遠足代だ教材費だ給食費だと結構なものいりになる。
無償ということは授業料をとらないだけで、学校へ通わせるためにはそれなりに費用がかかる。だから生活費が苦しくて教育にかかる雑費が払えない家庭のために市町村が適切な補助をすることが法律で決められているわけだ。これを受けている家庭が半分近くいるということは結構重大な意味を持っていると考えなければならない。
文部科学省がゆとり教育という理念を掲げて教育内容の削減を考えた。これも前に言ったことだが、現在の学校では社会の要請に応えることが多くて、肝心のやるべきことに当てる時間が決定的に不足している。おまけに土曜日は休み、国民の祝日はこれまた世界最高レベルに多い。
そのうえにまた、バカな人間が小学校で英語必修ときた。もちろん物理的に1週間に1時間くらいの時間の捻出はそれほど困難ではなかろう。しかしこれを担任にやらせようとする、その理由が日本人の英語べたをなくそうと言うのだからあほらしくて開いた口もふさがらない。ただでさえやらなくていいような仕事で手いっぱいの教員に、これまた日本人が一番へたと自認する英語まで教えさせるとは。
教科書は薄くなる、あちこちに手を出すから肝心の教科の指導が手抜きになる。親たちは敏感にこれを嗅ぎとってわが子だけは国立、私立の中高一貫校で学力をつけてもらおうとしている、これが現実だ。
さてここで問題になるのは、国立、私立のそれらの学校に入学しようとすれば、一般の公立小学校でまじめにお勉強をしていれば大丈夫というわけにはいかない。これらを受験して合格するためには現実の問題として他に進学塾へ通う必要がある。
戦前は義務教育は小学校6年生までだったから、中学校、女学校へ進学する希望者は皆受験準備をしなければならなかった。これを当時は小学校の先生方がほぼ無償で受け持っていた。つまり自分の学級の中の進学者に補習授業をしたり、休みに呼び出して個人指導をしたりしたのだ。そのかわりに進学成績が良ければその教師の手柄ともなった。もっとも当時の旧制中等学校への進学率はおよそ20%くらい。現在の大学受験者より少ない。
戦後6・3制が制度化されると小学校から中学校へは無試験で進める。したがって小学校では受験指導から全く手を引いてしまうことになる。入学試験が現状のままならばくじ引きにでもしない限りはそれなりの受験の技術が必要なのだ。となればどこかでその技術を学ばねば目的は果たせない。
話は戻って、つまり受験をするには金が必要だということになる。冒頭で例にした地域ではおそらく小学生の半分の家庭には経済的な余裕がないと見るべきだろう。仕方なく公立中学校に通わせる。そして更に進学希望があれば、経済的な負担の少ない公立高校へ進む。けれどもそこからはいわゆる一流大学と称される大学への進学はほぼ絶望的なのだ。
それでも社会が、学校はどこを出てもかまわない、本人のやる気と実力を見てやろう、という時代なら良かった。一時ソニーでは出身校は問わない時期があった。ところが妙にアメリカナイズされた自由競争時代に入り、しかも平成の大不況を経験した経営者にはそんな余裕はとてもない。大学卒だろうが銘柄によっては臨時社員とか一時雇用、または派遣社員として雇傭しようとする。
そうなれば貧しい家庭の子供は決定的に不利な将来しか見当たらない。つまりスタートラインに着いたときから既に不平等が待受けている。戦前の日本はもっと貧しかったかもしれないが経済的に余裕のある人間が、個人的に能力ある人間を書生にしたり奨学金を出したりして有為な人材を育てていたのも事実だ。
このようなセーフティネットを現代では公の機関が設置しておかなければ将来の日本はどうなって行くか心配なのだ。ところが今の日本にはもうお国には金がない。そんなこんなの気掛かりが多すぎるから国民も子供を作りたがらないという悪循環が起こっている。
最近東京都や区の一部で公立の中高一貫校を作る動きが出て来た。これにはかなり問題が潜んでいるような気がしてならない。たしかにこれまで中高一貫教育をしていたのは国立と私立の学校だ。だから公立にあってもよいというのだろうか。
実態とは大違いかもしれないけれど、国立大学付属の中・高とは大学の教育学部の実習実験のためのものであって、本来は進学を目的としたものではないのだ。また私立学校はそれぞれ創立者の建学の精神があり、その目標を実現するために学校を作っているのだ。
都立の一貫校、あるいは千代田区立のそれにはこのような大義名分がない。ありていに言えば単に成績の良い子供が国立、私立に取られて行くのを傍観しているわけには行かないから、としか見えない。住民の税金によって運営している学校だというのに。
千代田区立のそれは今年10倍の受験者があったという。当然なことで、国立、私立に比べて安い授業料ですむ、そんな学校があったって良いのではとの意見もあろうが、これはやはりおかしい。なぜならば同じ区民税、都民税をはらっているのに希望しても落とされるのはそもそも不平等きわまりない。東京のように既に高校進学者が100%近いのだから公立の中高一貫校があってもいいのではと言うのならば、すべての公立学校は中高一貫にすればいい、言い換えるならば義務教育をそこまで延長する、との覚悟があるのならばそれもよかろう。
公立学校の復権ということで、またまた不平等を拡大することは果たして若者の本当の教育になるのだろうか。戦後OECDが日本を視察して、日本の義務教育の内容と質は世界に冠たるものと褒めてくれた。ただし大学の教育は世界最低だとも言っている。義務教育とは、貧富にかかわらず国民に平等の教育を与えるのがその役割ではないのか。
とは言ったものの、そこまでやったところで結局は学校間のそれぞれにいわゆる学力差は起きるに決まっている。なぜならば学校の成績こそ人間の価値という幻想がこの国の人たちからなくなることは当分なさそうだから。そしてその社会で勝ち抜くのは金の力にますます影響されることが分りきっているから。
教育基本法に愛国心を入れるかどうかですったもんだするより前に、文科省にはまだまだやることが一杯あるんじゃないの。
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