どこかおかしいこの日本 くたばれ官僚

マスコミは信用するな、利用せよ

榊原烋一 【サカスト】
2006年3月10日(金)寄稿

大分旧聞に属するが、ホリエモン逮捕のニュースが流れた。検察庁が手を出した、これは【岸コラ】が言うとおりあんまり早すぎるから疑問ばかりだ。IT時代だからぐずぐずしていれば証拠隠滅の恐れは十分ある、だから早急に、はよく分る。も一つ、沖縄で自殺した、と言われたライブドア関係者の死も【岸コラ】のいうとおり不審だらけだ。

かつての幼児殺しの宮崎が死刑になるまでに何年かかったのか、そして今でも耐震偽装問題で揺れているマンションを買ってしまった普通の市民はこの正月をどういう気持ちで過ごしたのか、こんな不条理な日本をなぜ皆黙っているのか。

今の日本は本当にブッシュ政権率いるアメリカ型の政治になってしまった。小泉総理も退陣を自分で明言してしまったからレイムダック状態になりつつある。おまけにアメリカ産牛肉問題、ポチになってみせても飼い主のいい加減さで足もとをすくわれてしまう。

さて、ここで全くいいかげんなのがマスコミの報道姿勢だ。【サカスト】では何回も申し上げたように、テレビは絵を出さねばならない。だから視聴者が喜ぶだろうと思う絵を送り続ける、しかもそれが真実を報道すべきニュースにまでだ。たしかに人間にとって真実とは何かを知ることは永遠の謎なのかもしれない。

具体的に現在のテレビニュースを問題にしてみよう。堀江氏が逮捕された、するとすぐに彼が意気揚々と得意になっていたときの映像が流れる。まだ公判も開始されていないというのに。国民はそれを眺めてざまあみろと溜飲を下げる。とにかく他人の不幸は蜜の味だ。一番割りを食うのが、たまたま堀江氏主催のパーティに居合わせたためにテレビに出されてしまった芸人だ。

芸人に罪は全くない。金のためなら要求に応じて仕事をするのだから。仕事が好きとか嫌いで選べるような芸人は、日本だろうがアメリカだろうがそれほどいるはずはない。そして金のためにあるパーティに出る、スポンサーが隆々たる勢いがあるときにはテレビ会社もそれをアピールしてくれる。一変してそのスポンサーが今回のように逮捕される、すると哀れなのはその芸人で、あたかも悪の片棒を担いだかのようにまた画面に登場する。ここまではいい、どっちに出されても金になるならば芸人としてはそれで報われるのだから。

そこで許せないのは、そういう番組を作る連中と、そこにほいほい出て来て学識経験者として評論をする会社お抱えの学者達だ。この連中は評論を生業としているのだから、もし結果が間違っていたとしてもあくまでも私の意見は正しいと反論すべきなのに、世論が変わればしゃーしゃーとしてそちらの評論家となる。【サカスト】としては少し古いこんなニュースを引き出して問題視するのは、今回の【岸コラ】を読んでいても感じることだが、日本のマスコミ、というか日本人全体に同様なけじめのなさが蔓延していると思うからだ。

私が10年ほど前に買った本に「敗戦後論」(加藤典洋著・講談社刊)という本がある。この著者は戦後生まれの方であるが、日本の敗戦後の国民、マスコミそして評論家の中に同じ敗戦国ドイツと明らかに異なる様相を発見している。その文中からそれを検証してみよう。

1984年6月6日、フランスノルマンディー海岸で旧連合国軍ノルマンディー上陸40周年記念式典が行なわれた。当然連合国加盟の各国首脳と退役軍人の多くがこれに参加した。ところが当時既にNATOの一員となっていた西ドイツ首相ヘルムート・コールは本人からこれへの参加希望を述べたが招待状はついに届かなかった。当時西ドイツの新聞「ディ・ツァイト」には編集長テオ・ドマーによって次の記事がのせられた。

「我々ドイツ人にとって、Dデー(作戦計画のその日のこと)は、いずれにせよ、いくつかの痛みに満ちた見解に決着を与えるためのきっかけである。 第一の見解は、なかでももっとも辛いものだ。我々が今日享受している自由や民主主義や繁栄は、40年前に連合軍がアドルフ・ヒットラーの第三帝国への突撃を試みていなければあり得なかった。つまりそれは、我々に対しては、まず外からトータルな崩壊が押し付けられねばならなかった、という見解である。」

この文章の書き手が当惑しているのは、現在自分たちが置かれている価値観に立ってことを行おうとすれば、自分たちを滅亡のふちに追い込んだ作戦の40周年記念を首相の参加で祝わねばならない、しかもそれが拒否されてしまう敗戦国としてのねじれを痛感していることにある。

そして西ドイツ国民やマスコミはこのねじれをはっきりと受け止めてまず近隣諸国への謝罪を第一に行ったはずなのに、40年経った後、戦勝国によってもたらされた価値観を共有して祝おうとしてもそれが拒否される、そういう現実を見据えた論説なのだ。もちろん最近のドイツの一部には急進的な右翼勢力が少しはびこり出してきているようだが。

たびたび言うようだが、わが日本では敗戦前のマスコミは一億玉砕を叫び、一夜明けて敗戦になるとあっと言うほど見事に一億総懺悔にころりと変わってしまう。しかも占領軍の押し付けた憲法を、天皇の名において公布し、当時の帝国議会はこれを賛成多数で通過させるのだ。このときこの新しい日本国憲法の成立手続きがおかしいとして反対したのは枢密院審査委員会でたった一人、天皇臨席で行われた枢密院本会議でもその人一人だったのだ。その一人とは憲法学者美濃部達吉だ。反対はこの人だけ。

かくして日本人は占領軍の押し付けた憲法を、天皇の名において平和憲法として有難く受けとり、その憲法のもとで言論の自由を享受することをむしろ当然の権利であるがごとく今日まで生きてきたのだ。しかも自国の戦死者だけを祀った、そのうえ戦争で死んだ訳でもない戦争責任者まで祀った場所へ総理大臣が堂々と参拝する、こんな論理矛盾をいまだに抱えているのだから、近隣諸国は信頼しないに決まっている。はっきり言えば日本には思想なんてものがまるきり存在してないということだ。

そんな日本のマスコミは矢張り信用できない、ただ利用はすべきだろうが。

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