続・続、靖国問題 皇位継承はどうなる

リスニングテストを笑う

榊原烋一 【サカスト】
2006年1月23日(月)寄稿

リスニングテストで案の定問題が起きた。日本の英語教育は時間やお金をかけても使える英語になってないという批判は、【岸コラ】が言い出してそれにうっかり乗ってしまった私の投稿が【サカスト】の始まりだったことを思い出した。

さて、問題の英語教育だが、しゃべれればいいというだけの問題ではないという原点に戻って考え直すべきであろう。たしかに日本では中学校以来大学卒業までに最低でも10年は英語教育を受けている。しかし会話力となると世界でも珍しいしゃべれない国民とされている。これはセンター入試でリスニングテストをしたからと言って急に出来るような単純なことではないはずだ。

私の個人的な考えでは、まずヨーロッパ言語の一つである英語は日本語とはまったく文法的に異なる言語であるということ、それと同時に単語自身が欧米語とは懸け離れて共通点がないことだ。ヨーロッパ各国の言語は様々あっても語源や文法を一つにしているものが少なくない。

現にNHKの世界のニュースでアゼルバイジャンの子供たちが踊っている映像が流れた。そしてその子供の一人に踊りは好きか、とあまり賢明ではないインタビューをすると、その女の子は踊りが一番好きとの答え、もちろん字幕にそう書いてあったので私にはその言葉は全く分らない。ただ聞いていてロシア系の言葉だということだけは分る、そこで耳に響いた単語、それはタンツだ。なるほど英語ならダンスだしドイツ語ならばタンツだとあらためてヨーロッパの連中が一人でたくさんの言語をあやつれることがはっきりした。ギリシャ語かラテン語の語源を知っていればかなり共通の単語が分る。そして構文はほとんど同様だ。

第ニに、日本人は江戸時代以降、ヨーロッパの人間にヨーロッパの言葉で文化を教わった経験がないということだ。おやっと思うかもしれないが、最初はオランダ語であったかもしれないし、明治以降は英語、フランス語、ドイツ語によって西欧文化を学んだが、それを当時の知識階級が日本人の大部分が理解可能な漢語に置き換えることができたために、高等教育にいたるまで自国語で学ぶことが出来た事実がある。もちろん、外国の植民地になった経験もない。

学校で教わらなくても英語がぺらぺらしゃべれるフイリッピンやインド、ミャンマーなどの国民は英語ができなければ仕事もないのだ。戦後すぐには日本でさえ空襲で両親を失った子供たちは職を求めてアメリカ兵相手の靴磨きをしていた、また娘たちの中には売春でしか食えない状況に追いやられた者もいた。当時この人たちは大学出の日本人たちよりも遥かに上手に自分の意志を英語でアメリカ人に伝えることが出来ていた。

聞く、話す、ということはこのように人間の必要に迫られて出て来るものなのだ。しかし、日本人が英語を学ぶのは、英文で書かれた学問を理解し、自らも英文で意思を発表しなければならないという、読み、書きの能力を鍛えるだけの必要性だったのだ。したがって文法的にも間違いのない、しかも高級な英語の読み書き能力をエリートの必要能力として身に付ける、これだけのために教育して来たのだ。

第三、これも抜きがたい日本人の美徳でもあり欠点でもある自己を主張しない文化がある。これは日本人が歴史の中で育んで来た文化の域に属してしまうのでどうしようもない。最近では少しずつその文化も変わってきつつあるが、ホリエモンのように自己主張をはっきりする人間が一時はもてはやされても、一歩つまずけば自己主張は悪とされてしまうという考え方が日本人のDNAに刷り込まれてしまってる。だから英語どころか自国語ですら自己主張ができないのが大方の日本人なのだ。

さて、まず私たち自身の日本語能力を考えてみればすぐに分ること、日常の会話に文法など考えてしゃべることはまずない、しかし、改まった席で挨拶をしなければとなれば前の日から原稿を書いて覚える人だっている。日本人が日本語を話す場合ですらこの通りなのだ。となれば英語だって原稿を書いて読めばいい、しかししゃべることによって意思の疎通を図ろうとするならばそれなりの訓練は必要だ。

そのためにセンター試験にリスニングを入れてみよう、このあたりが日本の役人と学者達の頭の硬さをはっきり示す出来事なのだ。試験に出せば勉強するだろう、という単純な発想しか出ない日本の役人と英語学者がいる限り、未来永劫日本人の英語能力、あるいは外国語的発想能力が身につくはずがない。どだい日本全国で50万人もいる受験生に全く同質で公平なヒヤリングの機会を同時に与えるなんてことは初めっからムリというもの。案の定機器の不具合で何人かの学生が不平等なテストを強いられてしまった。

とにかく試験の科目に入れれば勉強するはず、という発想自体が時代錯誤も甚だしい。試験に出るから勉強する、したがって受かってしまえばその後は興味も関心もない、という学習法はその人の将来に何を残すか、それは忍耐するという特性を育てるだけだ。もちろん忍耐も人生には必要ではあろうが、その陰で創造性や自由な発想などの人間らしさはほとんどが潰されてしまう。

不思議と雪になる確率が多いセンター試験で、こんな実験に使われる若者は本当にかわいそうでならない。

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