吾輩は犬である リスニングテストを笑う

続・続、靖国問題

榊原烋一 【サカスト】
2006年1月13日(金)寄稿
1月14日アップ

新年早々また靖国か、といやがられることは覚悟の上でやはり言っておくべきことは言っておかなければならない。

昨日もトルコを訪問している総理が、次の総理、総裁選挙では靖国問題を政争の具にしてはならない、との発言を記者団に述べている。偉大なるイエスマンの幹事長も即座に反応して、次期総理選挙でこの問題を取り上げることは反対と言明。

さすがの小泉さんも、最近のマスコミの反応が少しずつ変わって来たのを見て取ったか、あるいはまたまた自分よりも多少右がかっている安倍さん擁護のつもりか、こんな早い時期から煙幕を張りはじめて来た。

マスコミの論調も、しばらく前までは対外的な影響、つまり中国、韓国との外交問題の火種としての問題視に傾いていたし、経済界はあからさまに商売にさし支えるとの立ち場から、声高に反対したいところだったのだろうが、こちらは当局からの意趣返しを恐れてか大声で反対は叫ばなかった。

ところがここにきてマスコミの論調が変化して来た。これを皮膚感覚のように敏感に捉えるのが政治家、ということで今回の小泉発言になったのか。その点について私がたまたま最近読んだ本の範囲からだけでも追ってみたい。

まず昨年11月に発行された単行本「戦陣訓の呪縛」〜捕虜たちの太平洋戦争〜(ウルリック・ストラウス著、吹浦忠正監訳、中央公論新社刊)が話題になったことである。第2次大戦中アメリカ軍捕虜となった日本兵の苦悩を当時米軍情報隊に所属して日本人捕虜と接してきた米人が書いたものである。まさに以前【サカスト】で指摘したように、戦陣訓によって縛られた日本兵が死ぬまで戦わせられ、運悪く捕虜になってしまった将兵の精神的苦悩を細かく報告している。そしてその中心に存在するのが「生きて虜囚の辱めを受けず」で有名な戦陣訓だということが克明に記されている。そのほんの一部を紹介しよう。(同書p.346〜348からの抜粋)

「戦時中、『戦陣訓』の精神は多くの人命を犠牲にして広がった。その犠牲者の数は何万,非戦闘員も含めれば何十万にも上る。犠牲者に含まれるのは、連合軍に甚大な被害を与えた有名なカミカゼ攻撃や玉砕攻撃に散ったものだけではない。ビルマからニューギニア、フィリピンのジャングル、そして硫黄島やサイパン、沖縄の洞窟で非業の死を遂げた者の命、また虜囚の恥辱より命令への服従を選んだ者の命も『戦陣訓』は飲み込んだ…この死は単なる運命としては片付けられない。日本政府が追い求めた大義の究極の到達点である。」

ここまでは以前【サカスト】筆者が既に指摘したことと全く変わらないが、次に私が見逃していた重要な指摘が記されていた。

「『戦陣訓』は、まったく意図していなかったもう一つの結果を生んだ。日本兵の投降を望まないと言うだけの理由で、日本政府はあたかもそれが起きていないかのように振る舞った。政府は赤十字国際委員会を通じて提供された捕虜の情報を無視し、日本の神話に反するからといって捕虜の存在を黙殺した。自国政府に見放された格好となった捕虜は、連合国軍の思惑通りに働いた。」

そしてまた一般の日本の将兵は自分たちの頭に刻み込まれた価値観から外れて「生きて虜囚となった」連合国軍捕虜を徹底的に軽蔑し彼等に対して残虐な国際法規違反も繰り返したのだ。これが「戦陣訓」の残した遺産であることを忘れてはならない。

第ニは朝日新聞社の月刊誌「論座」2月号の記事である。朝日新聞と言うだけで内容が分ってしまうよ、と思われるだろうが、私が常々悪口を言っていた読売新聞主筆の渡辺恒雄氏が朝日新聞論説主幹若宮啓文氏と行った対談で、なんと靖国問題で共闘宣言をしていることである。

つまりこれも以前から【サカスト】で述べていたように、この問題は対外的な問題ではなく、すぐれて日本人自身のしかも知識人としての日本人が戦争中の歴史を冷静に考えたときに、靖国問題は日本人の問題である、そして結論的には総理が参拝すべきものではないと強く訴えているのだ。例えば以下のような発言がある。(同誌p.30〜31)

渡辺 「今、僕の考えていることは少数派に属するかもしれないけれども、徐々に多数派になるんじゃないかと思っています。また、なるようにしなきゃいかんと思っていますよ。

1985年8月15日に当時首相の中曽根さんが靖国神社に参拝したとき、僕は中曽根さんに反対だと言ったんです。『僕は、東條を断じて許せないし、東條一派を許せない』と言うと、中曽根さんは『おれは東條のお参りに行ったんじゃないんだ。おれの弟が戦死して、あそこにいるんだ。だから、弟に会いに行ったんだ』と言った。そのときはそれ以上は論争しなかった。

しかしいろいろ考えてみるとね、A級戦犯を合祀したのは厚生省の援護局でしょ。最近の東京新聞に記事が載っていたけども、戦後、援護局に多くの軍人が入った。課長クラスもそうだった。彼らが靖国神社に合祀の名簿を渡したんですよね。ところが当時の靖国神社の宮司は合祀しなかった。」

若宮 「援護局からA級戦犯の『祭神名票』が靖国神社の方に渡されたのが1966年です。当時の宮司は山階宮家から臣籍降下した元皇族の筑波藤麿氏で、彼が宮司をしていた間は合祀しなかったため結局12年間たなざらしになっていた。(中略)

ところが、その筑波さんが急逝され、後任に松平永芳さんが就いた。元海軍少佐の松平さんは、東京裁判を真っ向から否定している人で、就任後、ただちにA級戦犯合祀に動き、78年に実現しました。

A級戦犯の合祀について昭和天皇が側近に『山階ならああいうことはしなかっただろうな』と語ったと言う話をある有力政治家から聞いたことがあります。松平宮司になって合祀したことへの不快感の表明だったのではないのですか。現にその後、天皇陛下は4半世紀以上も靖国神社に参拝していないですね。」

そして両氏はA級戦犯が合祀された靖国神社へ総理が参拝することは、第2次大戦はあくまでも正義の戦争と認めたがる日本の一部の勢力を助長する極めて危険な行為であるという点で一致したのだ。

渡辺氏は私と同年齢だ。その彼が「僕は自分の体験を語り、残しておかないといけないと思っている。日本軍というのは本当にひどいものだったんだということを、どうしても言い伝え、書き残しておかなきゃいかんと思っているわけですね。」と語っている。

【サカスト】筆者もまったく同様な理由で総理の靖国参拝反対を何時までも叫んでいるのだ。

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