歴史こそ大切なもの 続・続、靖国問題

吾輩は犬である

榊原烋一 【サカスト】
2006年1月9日(月)寄稿

吾輩は犬である。名前は威張れるほどのものではないがポチである。日本では今年を戌年と呼んで12種類の動物を順繰りに毎年名付けて行くが、古代中国から輸入したこの暦の順は、正確には十干と十二支の繰り返しで60年間のそれぞれの年を確定することが出来るようにしてあるのだ。

十干十二支とは説によれば10の幹と12の枝というような意味だと言われるが、ご参考までにそれを全部並べてみよう。まず十干だが、これは甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸の十種類、十二支とは子、丑、寅、卯、辰,巳、午,未、申、酉、戌、亥の十二種類である。日本の人間が普段使い慣れているのは十二支の方なのでこの読み方は多くの人間が知っていて、ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い、とスラスラ答えられるのに対し、十干は正確に日本語で読める人は少ないようだからこの覚え方を伝授しておこう。

古代中国で生まれた五行説というものがあり、天地万物はすべて次の五つのものからなるという考え方、これは後に運命や革命の起こる年などに転化してまで考えられるようになった重大な学説とも言えるもので、あらゆるものは木、火、土、金、水の五つの要素からできているという考え方である。音読みにすれば「もっかどこんすい」と大変覚えやすい。さてこのそれぞれがまた兄弟に分かれる、つまり兄(え)と弟(と)に分けているので「えと」と呼ぶのだが、これをこの「もっかどこんすい」の訓読みである「き」[ひ」「つち」「かね」「みず」にそれぞれ「え、と」を加えると「きのえ」「きのと」「ひのえ」「ひのと」「つちのえ」「つちのと」「かのえ」「かのと」「みずのえ」「みずのと」となる。十干の最初の文字である甲は、木の兄すなわち「きのえ」と読めばよいのだ。ちなみに今年の干支は丙戌、音読みではへいじゅつ、訓読みにすれば「ひのえいぬ」となる。

十干と十二支とを合わせて年を呼べば六十年間を区別することが出来、六十年経つと同じえとに戻ることから、六十歳になれば生まれた年のえとに戻る、即ち還暦と呼ぶ訳だ。ほかにもたとえば高校野球でおなじみの甲子園球場は大正11年(1922年)甲子『きのえね』の年に作られたから甲子園のように、えとを知ることは昔の年代を理解するには非常に便利なものとなる。

ここまでは吾輩の学のあるところをひけらかしてしまったが、われわれ犬族は人間に飼いならされて実に長い歴史を持っている。5万年以上昔の洞くつの中から人間の骨と犬の骨とかが出て来たというから、家畜としての伝統は極めて古い。しかも吾輩の仲間たちは人間が利用したくなるような優れた能力があるので、単なる愛玩用のペットとしてだけではないすばらしい役立ち方をしているのだ。警察犬、軍用犬だけでなく災害救助犬や盲導犬など、人間の生命の安全にまで努めているのだ。この点、同じペットといっても猫とは比較にならない役立ち方をしているのだ。

人間の中にも、動物なら何でも好きという人がいない訳ではないが、大きく分けると犬好きと猫好きのふた色に分かれるようだ。犬が好きと言う人は、その賢さ、従順さを褒めたたえるのに対して、猫好きの人はその勝手気ままさ、独立性を褒める。だからそれぞれの人間の性格もまた大きく分かれる。概して猫好きの人間は見栄っ張り、わがままな人間が多いのに対して、吾輩たち犬好きの人間には、正直、誠実なタイプが多い、というのは何も根拠のある説ではなく吾輩の身びいきな思い込みであろう。

戌年を英語にすればDog Yearになるのだろうか、だとすれば今年の1年間は普段の7倍くらいの早さで変化する大変な年になるかもしれない、日本の総理大臣も今年でやめると明言しているからその後の政局はそれこそDog Year的転換が起こるかもしれない。もっともこの総理大臣閣下は余りにもアメリカ大統領の気に入られようと動き回ってしまったので、アメリカのポチだなんて吾輩にとっては大いに迷惑なあだ名を付けられてしまったのは悔しかったが。

人間とのおつきあいの長い我々だけに、吾輩のことを引用した諺もたくさんあるが、これも残念だがあまりいいたとえには使われていない。あまりにも人間と親しくなり過ぎてしまったからだろうか。有名ないろはカルタの冒頭は「犬も歩けば棒に当たる」だ。人間はこれをいい方に解釈して、努力していろいろとやってみればきっといい結果が出る、なんてのんきなことを言っているが、吾輩から言わせれば、犬くらい感覚が鋭い動物でさえ動き回っていれば棒にぶつかることもある、というように、物事をすれば必ず災難にぶつかる、と考えた方がよかろう。それよりも、犬は三日飼えば三年恩を忘れず、このほうを現代の日本人は胸に手を当ててじっくりと考えて欲しいものだ。

江戸時代の方角の呼び方では西北西、時間の呼び方で言えば戌の刻は現在の午後8時ころのことだ。少子高齢化に歯止めのかからない今の日本は、地球上で既に午後8時の存在の国家になってしまうのだろうか。せめてお近くのアジアの国々とは、どうか「犬猿の仲」にだけはならぬように願って、吾輩の新年のご挨拶としよう。

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