冬の晴れ間の散歩の中で 歴史こそ大切なもの

非国民とは

榊原烋一 【サカスト】
2005年12月22日(木)寄稿

最近のことだ。九州のある町の中学校で、多分社会科の授業だったのだろう、戦争中の召集令状、いわゆる赤紙のコピーを生徒に渡し、こんな手紙が来たら君たちはどうすると質問して、答えに拒否すると印した生徒に、赤字で非国民と記して返した教師が問題となった。

この教師は政治的意図はまったくなく、単に日本の戦時中の事実を子どもたちに教えようとしたらしいのだが、ちょっとしたニュースになった。たしかにもう少し丁寧に説明すれば良かったのか、あるいは、答案に非国民と赤字で書いたそれだけで驚いた保護者が教育委員会に訴えたのか、この辺にもまだまだ日本の国民の揺れている気持ちが分るような気がする。

マスコミが後追いで大騒ぎしなかったところを見れば、たぶんこの教師は戦時中に召集令状を拒否すれば非国民と呼ばれた事実を伝えたかったのだろう。しかし、私から言わせればそんな甘い話ではない。召集を拒否したらそのとたん日本国の中で生きて行くことは絶対に不可能だったはずだ。現在の若者たちにこういう現実を教えたければ、日本のマスコミがしばしば扱う現代の北朝鮮のニュースをピックアップして録画し、これが60年前の日本の姿、日本の当時のニュースとまったく同じだと教えた方がよかった。

その当時の非国民との言い方はもっともっと一般的で下らないものだったのだ。私が音楽学校に入学したのが1944年(昭和19年)の春。そのとき私の親戚が言ったのが、こんなご時勢に音楽なんて非国民じゃない、だった。

入学後、電車の中で同級生の女の子としゃべっていると、つかつかと寄って来たおやじがなんだこんな非常時に女の子としゃべっている非国民め、だった。音楽学校は戦前から唯一男女共学だったが、官立の上野(現東京芸大)ではそれこそ学外でさえ男女が話をしていることが見つかれば退学だったが、私立のわが校ではその点全くおかまいなしだった。この程度が非国民なので、徴兵拒否などすればそれこそ命などなかったはずだ。

さてその当時、面白い事件があったことを思い出した。入学したその年の暮れ、当時の東京放送局(現在のNHK) の海外放送でモーツアルトのレクイエム(鎮魂ミサ曲)を放送することとなり(もちろんラジオ放送だ)その合唱をわが学校が引き受けた。いまでこそ名曲中の名曲でこの曲を演奏するコンサートはどこのオーケストラがやっても必ず満員になるという曲だが、初めて歌うことになった私たちはすっかりこの曲に魅了されてしまった。

ある日、仲間数人が下宿していたアパート(ここの娘さんも音楽学校生だったので、当時としては珍しく木造アパートにもかかわらずピアノ持ち込みが出来たため学校の男子が数名下宿していた)で持ち寄った酒を飲みながら、男ばかりでこの曲を大声で練習していた。

すると突然、これも酔ったらしいおじさんが部屋に飛び込んで来た。そしてどなった。この非常時に外国語の歌を、しかも男が歌っているとはなんという非国民だ。

一瞬ぎょっとした私たちだったが、私たちの中に一人の上級生がいた。かれは1年だけ上級だったが、在学中に兵隊にとられて中国に2年ほどいて復学したので年齢がかなり上だった。

さすがに年の功、かれは少しも騒がず次のように言ったのだ。

私たちは音楽学校の学生です。実はクリスマスの夜、アメリカ向けの海外放送で今練習している音楽を放送するのです。この曲は実は葬式の音楽で、クリスマスの晩にこれを聴かせて敵の戦意をくじくためにここで練習しているのです。どうしてそれが非国民なのでしょうか。

おじさんはそれ以上何も言えずすごすごとひき下がり、われわれは夜半まで盛大に酒を飲みつつ歌い上げたのであった。当時の非国民とはこんな程度のものだったと言うことを現代の皆さんにはぜひ知って欲しい。

この記事の読者数:



Copyright (C) Toru Kishida 2005 All Rights Reserved.