耐震強度偽造問題へ緊急続報 非国民とは

冬の晴れ間の散歩の中で

榊原烋一 【サカスト】
2005年12月10日(土)寄稿
12月11日アップ

世の中でこんな偶然ということがあるのかと本当にびっくりさせられた。

この日2005年12月8日、私のような世代にとってはこの日は忘れることの出来ない日である。そう、太平洋戦争ぼっ発の日、その朝いつものようにラジオのニュースを聞いていた私の耳に飛び込んで来たチャイムとそれに続くアナウンサーの上ずった声。この日の前後になれば8月15日と同じように芸のないマスコミ各社がよくもまあ目新しい種を拾ってくれることと思う。それにしても毎年種切れにならないくらい歴史とは探れば探るほど奥深く面白いものなのかもしれない。

話変わって、同じくマスコミでのニュース。日本人はいつまでたっても四季のうつろいに敏感な民族だ。というよりも天候に敏感なのかもしれない。これは農耕民族の宿命とも言ってよいのだろう。テレビという最新科学(でもなくなったが)を集めた情報媒体ですら十年一日のごとく冬になれば霜の降りた枯れ枝などアップで出して、寒さもますます厳しくなりました、なんてのがニュースのトップにさえなる。

悪口を言うのでなく、私自身、テレビのニュースで神宮外苑の銀杏並木の落葉が歩道いっぱいに敷き詰められている画像を見て、JR東海のCMではないが、そうだ!外苑に行こうと思い立った。幸い晴れ間もあるし風も穏やか。

電車の中で何を読もうかと考えて、前から積んでおいた新書の中からちくま新書の「イタリア的考え方」なる1冊を選んで電車に乗った。電車の中は座って行ければ最高の読書空間、もちろんウイークデイの昼間、ゆっくり座ってやおら読み出した。この本は副題に「日本人のためのイタリア入門」とあって、著者はファビオ・ランベッリというイタリア人でありながら密教の曼陀羅の研究者で、いやあ読み出したらやめられないおもしろい本だった。

電車の中で三分の一くらいは読めたが、その中で印象的なのは日本人の考えるイタリア観を覆すべく、おたがいによって立つ文化の差異に視点を置いていく論旨の進め方だ。本書の58ページから少し引用してみよう。

筆者は日本人がもつ様々なイタリア人観を簡単に紹介した後、こう書いている。「興味深いことに、このようなアプローチの仕方は、イタリアについて論じている日本人の著者自身の文化についての常識と深く関連している、と私は思う。実は、日本人の常識では、日本の最も著しい特徴は均質度の高さである。昔から日本は『単一国家』、『単一民族』、『単一文化』の領域として描かれてきた。…しかし中世日本史の専門家、黒田敏雄や網野善彦などが日本についてのこうした常識の虚構性、イデオロギー性を徹底的に証明したにもかかわらず、日本論のもとであるこのような幻想は、今でも根強く日本人の心性に刻み込まれているようである。…」

著者は日本人のもつイタリア観は裏返せば日本人のもつ日本人観が下敷きになっているので、大きな誤りをもつ危険性がある、と述べている。そしてそのような日本人のもつ日本観は明治政府が教育によって作り上げたものと述べている。その反面、イタリアは国家統一の後もそのような国家的な教育はしていないから、イタリア人はと一概に考えることは不可能であるにもかかわらず、ある本では、イタリア人は愚かである、怠け者である。またある本ではイタリア人は生活を楽しむ、ファッションセンスが鋭い、など、見る人の価値観で勝手に決めつけている、と述べている。

この視点には興味がもてたが、信濃町に到着したので本をコートのポケットに突っ込んで外苑散歩に出かけた。歩きながら絵画館の横に出た。この建物は東京の景色の中では珍しく周辺の雰囲気とマッチしたきれいな建造物だ。と、そうだ、この中は中学生の頃に入っただけだったことに気が付いた。どうせあてもなく出かけて来たのだから少しゆっくり中を見よう、と入館料500円をはらって入館した。

中学校のときはおそらく団体で来たはずだから、個人でゆっくり見るとまた新鮮な味わいがあった。もちろん我々世代は明治維新前後の歴史については学校でかなり詳細に教わっている世代であることも、ここに飾られている絵画を見る目にも若い人たちと違った懐かしさが感じられるのであろう。

正面玄関から入って右側の棟が日本画を中心とした明治維新前後の歴史画、左棟が洋画による主として日清戦争以後の歴史画が飾られている。いずれも明治天皇の聖徳をたたえるものとして大正時代の著名な画家の作品で、一つ一つの作品の下には日本語と英語との解説文がつけられている。その数合わせて80点、ゆっくり眺めれば優に2時間はつぶれる。

さてその中でおやっと思わされた解説があった。17番目に都を京都から当時の江戸に移し、東京と改名して現在の皇居へ天皇が入場される絵がある。続いて皇后が選ばれ再び京都で結婚式が挙行された時の絵が18番目にあり、更に19番目に京都からの帰り道に伊勢神宮を参拝された絵があった。そしてその解説を見ると、なんと伊勢神宮へ天皇が直接参拝されたのはこれが初めてで、このことは明治天皇が祖先を崇敬する念のあついことを国民に示すものだ、と書かれているではないか。

ここで電車の中で読んでいた「イタリア的考え方」との奇妙で偶然の一致が思い浮かんだのだ。つまり、現在の日本人が日本の伝統の文化であると思い込んでいるかなりの部分は明治以後の国策による教育の影響であり、知らず知らずのうちにそれを常識だと思い込んでしまっているのでは、ということだ。靖国の問題も考えてみれば明治時代に天皇中心の国家観が作られ、更に神道を国家宗教とし、それらを中央集権制度下の学校教育で強力に国民に浸透させた、その影響で今の日本人の大部分の常識が作られており、その常識のもとで首相の参拝も当然であるという見解も作られてしまっているのではないのかということだ。歴史は大切にすべきだが、歴史の読み方はあくまで客観的な視点を持たなければいけないということを、偶然の機会に偶然のできごとから思い起こさせられた。

外苑の銀杏の落葉が冬の日ざしに照らされて黄金色に輝いていたのもぶらぶら歩きの初めの目的を叶えてくれた。

しかし最後に青山通りの側から再び絵画館を眺めたときもう一度驚かされたことがあった。それは銀杏並木がふた手に分かれ広い芝生のかなたに絵画館が見える、この風景の中に、な、なんと芝生の左手手前にこの風景とはまるで調和しない小さな汚い建物があり、しかもそこにはラーメンと書かれた旗が立っているではないか。ため息とともに、これも日本の常識だったのかとの思いを抱きながらすごすごと家路に向った次第である。

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