懐かしき良き時代 その1 耐震強度偽造問題へ緊急続報

死刑は廃止すべきだ

榊原烋一 【サカスト】
2005年12月5日(月)寄稿

連続して幼児誘拐殺人事件が起こった。犯人に捕まったときにか弱い子どもたちはなんと考えたのだろう。お母さん、助けて、おうちに帰して。殺される前の子どもたちの気持ちを思うと涙なくしてはいられない。同時に、その子どもたちの両親が自分の最愛の子どもの遺体を目にしたときの悲しみ、これも第三者の想像しがたい悲しみがあったに違いない。

広島の事件では日系三国人が逮捕された。今回の栃木の件も犯人は間もなく逮捕されることと信じている。だいたいこの種の犯罪を犯す人間は人格的に特殊な面があることが多いはずだし、捕まってみれば犯罪の動機もさもありなんと思われる性格の持ち主であることが大多数のはずだ。場合によっては同様な前科の持ち主であったことさえ少なくない。

さて、問題は犯人が逮捕されてから判決に至るまでの時間の長さだ。もちろん冤罪にしたのでは取り返しがつかないからこれも仕方あるまいが、かといって余りにも長過ぎる日本の刑事裁判のあり方には問題があろう。同時に犯人が有罪に、かりに死刑になったとしても被害者の親族は満足できるのだろうか。まして、その後子どものための損害賠償の民事裁判を起こそうとすれば、それこそ被害者の両親の一生を賭けた戦いとなるほどの時間がかかってしまう事態だってあり得る。

日本の裁判制度の慎重さは納得できる、そして死刑制度が残っていることも被害者の立ち場からすればある意味でこれも納得したい。しかしながら死刑制度が残っているのは、実は先進国では日本とアメリカだけなのだ。そしてアメリカは御存じのように州によって刑法の制度が違っているから、死刑制度が残されている州は50ある州の中で12州だけになってしまっている。日本人に人気のハワイ州も死刑制度は廃止されている。

死刑が廃止されているのは宗教上の理由もあるかもしれない。実際に日本の歴史を調べてみると9世紀、平安時代から12世紀までの345年間、死刑が全く行われなかった事実がある。この時代としては世界でも稀な歴史だそうだ。これも日本に輸入された仏教の影響だったことが明らかだ。有名な平家物語を見ても、島流しの刑は天皇にまで及んでいるのに、殺された人間はごく稀だ。

ここ数年の幼児誘拐、殺人の犯人のほとんどは逮捕され、その大方は死刑になっている。判決が下ったその日のマスコミの報道による被害家族の感想は必ずと言ってもいいほど、これで子どもは浮かばれます、しかし子どもが帰って来る訳ではありません、という形通りのものだ。それしか言い様がないからだ。

犯人が捕まらないで迷宮入りになってしまうよりはベターではあるが、犯人が死刑になったからといって親の気持ちが本当に慰められるのだろうか。毎年その日の来るごとに、今年あの子が生きていればとの思いを死ぬまで抱いているはずだ。犯人が死刑になったからといってもその気持ちに変わるはずはない。

死刑制度は本当に被害者のためになっているのだろうか、あるいはそれで被害者の恨みははらされるのだろうか。

日本の刑法にないのは終身刑なのだ。日本の刑法で罪が一番厳しいのが死刑だが、その次は無期懲役刑あるいは無期禁固刑だ。そのためにどうやら日本では無期懲役刑と終身刑とが誤解されているような気がする。無期懲役あるいは無期禁固刑とはその字の通りに刑期が定まっていない懲役刑、禁固刑のことなのだ。したがって刑務所の中で模範囚であれば最低ならば10年くらいで仮釈放になる。たしかにどんなに悪いことをした人間でも、獄中で改悛する場合がないとは言えない。そしてまた死刑にしてしまえば、そのひとときだけ被害者の犯人に対する恨みは少しは軽くなる、ただそれで解決したと言えるのだろうか。

そこで私は、日本でもそろそろ死刑は廃止して、代わりに終身刑を考えるべきと言いたい。世界の死刑廃止論で最も大きな理由は誤審が起こることだ。特に政治犯に対するいわれなき死刑判決があまりに多いこともある。したがってアムネスティインターナショナルのようなNGOが先頭をきって死刑廃止運動を展開している。アムネスティとは英語で恩赦と言う意味だが語源はギリシャ語で「忘れる」ということだそうだ。2004年のこの団体の発表によれば、世界196か国のうち死刑を廃止した国は118か国に及んでいる。

日本における世論調査は1990年に総理府が行っているが、その結果ではなんと死刑存続せよとの答えがいまだに79%を越えている。死刑存続論者の大多数の意見はいわゆる因果応報刑の必要を認めるものだ。刑法の解釈は多分にその社会の世論の動向に左右されることが多いようだから、いずれは日本でも死刑廃止論が主流になるかと思っていたが、最近のような犯罪の頻発からは当分廃止論は根付いて行かなそうに思える。

けれども先に述べたように果たしてわが子を殺した犯人が逮捕されて、死刑に処せられたとしてもそれで親や肉親たちの恨みは本当にはれるのだろうか。

そこで、私は死刑を廃止して終身刑を刑法に採用すべきだとの意見を述べたい。つまり、犯人には生きている限り刑務所内で労働させ、自分の犯した罪を償わせるという考え方だ。一時的な報復よりもこの方が被害者の身内の感情はいやされる程度が高いのではと思われる。もちろん、この刑を受けた者には仮出所はごく限定された場合にしか認めないようにする。たとえば別に真犯人がいた場合、死刑で処刑してしまった後ではどうしようもないが、終身刑ならばすぐに無罪釈放することだって可能なのだ。

この方式で最大の弱点は国の金、つまり国民の税金が必要だという点だ。いまでさえ刑法犯が増大して刑務所は満員状況なのに、終身刑者が増大すればその入れ物と食い扶持が増大することは当然だ。

そこでまず入れ物については以前【サカスト】で提案した日本中に無駄に作られた建造物をこの際刑務所として活用することだ。そしてそこでは民間と競争にならない産業を考えて囚人に作業させる。その労賃は犯罪の種類によっては被害者家族に終身支払わさせる部分があってもいいし、刑務所のある地方自治体の収入に加えても良かろう。また食品はその土地で収穫される物に限ってしまう。麦しかとれない地域ならば主食は当然麦飯だ。

ある人は言う、死刑制度をなくしたら犯罪抑止効果が落ちる。これも現実に死刑を廃止した国々で取り分け犯罪が増加したとの報告は出ていない。むしろ犯罪の種類によっては一生を刑務所の中でタダ働きをさせられることが知られれば、その方が犯罪を抑止する効果が大きいような気がする。

最近のように年端もゆかぬ幼児を卑劣な動機で襲って殺すというような犯罪に対しては死刑よりも終身刑を設けて犯人に一生かけて精神的にも肉体的にも、更には経済的にさえも被害家族に償いをさせることの方が合理的だと思うのだが皆さんどう思いますか。

(本来ならば「古き良き時代パート2」を書くつもりだったのが、最近の悪質な犯罪に怒りが湧いたので、急きょ前からあたためていた意見を書いてしまった。)

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