靖国参拝違憲判決 世相を映すプロ野球

再び総理の靖国参拝を憂う

榊原烋一 【サカスト】
2005年10月19日(水)寄稿

小泉靖国参拝またまた靖国参拝。今回は出来るだけ私的参拝の形をとったのだろうが、なんと言い逃れようが総理は総理、約束通りに来年9月任期終了で首相の座を降りた後ならば、定期券を買って毎日参拝しようがそれこそ思想信条の自由だ。

つまり首相という国家を代表する立ち場の人間が特定の宗教法人に肩入れするのは、違憲に限り無く近い。この件を訪ねられると小泉さんは伊勢神宮に参拝しても誰も文句を言わないのになぜ、と開き直る。伊勢神宮に参拝するのも厳密に言えば憲法違反と解釈されるものだ。ただしこの場合は百歩譲って天皇家の先祖に敬意を表し、その天皇は国民統合の象徴とされているのだから、靖国参拝とはまったくその意味が違う。

小泉さんは国のために命を捧げた将兵の霊に参拝するのに何が悪い、とも言う。前にも述べたがそれは別に悪いことではない、ただ靖国神社という宗教法人にその霊を祀ったことに問題がある。

もう一つ、外国から文句を付けられるからやめるべきという論議もよく行なわれるが、【サカスト】筆者はそんなことを一切言うつもりはない。外国がなんと言おうが自国の国民がオール賛成の事柄ならば力で押し切ることこそ外交というものなのだから、それが出来なければ外交官の責任だ。しかし総理の靖国参拝に関しては、国民の世論でさえ賛否がほぼ半ばしている問題なのだから、日本国民の一人としてもう少し考えるべきだというのだ。

だいたいA級戦犯をこそこそと合祀するようなうさん臭さ、これではそれこそ強制的に祀られてしまった護国の戦死者こそ浮かばれないはずだ。前回にも書いた通り失わずに済んだ命を、国際的な法規を超越したような奇妙な命令があったために失ってしまった将兵、そして民間人がどれほど出たことか。

まして日露戦争まではまだ自衛のためと考えられる戦争だったが、満州事変から以後はどう考えても理屈が付かない軍部の強引な中国侵略と、その延長上でついに大戦争にまでに日本を引きずり込んでしまった最大の責任者が祀られた神社に参拝することは、再びこの国を戦争の出来る国にしたがっているとしか思えない。

このことはその内容の是非がマスコミを賑わした例の「新しい歴史教科書」ですらこう記述している。(引用は同書市販本ー2001年6月版による)

『目的不明の戦争』 戦争が長引くと、国を挙げて戦争を遂行する体制をつくるためとして、1938年(昭和13)年、国家総動員法が成立した。これによって政府は、議会の同意なしに物資や労働力を動員できる権限を与えられた。生活必需品の配給制度や物価統制が行われた。また、言論への検閲も強められた。

中国大陸での戦争は泥沼化し、いつ果てるとも知れなかった。国民党と手を結んだ中国共産党は、政権をうばう戦略として、日本との戦争の長期化を方針にしていた。日本も戦争目的を見失い、和平よりも戦争継続の方針が優位を占めて、際限のない戦争に入っていった。1940昭和15)年、民政党の斉藤隆夫代議士は帝国議会で、「この戦争の目的は何か」と質問したが、政府は十分に答えることができなかった。

客観的にみてもこれが事実であるし、この場面での総理大臣であった近衛文麿は戦後責任を負って服毒自殺している。もちろん靖国には祀られていない。しかしその裏で戦争拡大を叫んだのが軍部、とりわけ陸軍であり、その責任者の一人として東條英機の力が大きかったことも歴史的な事実である。

小泉氏の靖国参拝は、賛成派の国民を感動させてしまった。ちょうど日中戦争以後、軍部に巻き込まれていったマスコミも戦争を賛美し、国民がそれによって次第に好戦的にさせられていったその歴史を繰り返しているかのような現状に危機感を覚える。

実際にあの戦争を体験したことのない世代が圧倒的に多数となった現在の日本で、このような形でナショナリズムをあおることはまことに危険な行動だと再度指摘しておきたい。

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