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榊原烋一 【サカスト】 |
今年もはや10月になってしまった。年をとると月日のたつのが本当に早く思われてならない。
先日、大阪高等裁判所で首相の靖国神社参拝に違憲の判決が出た。憲法判断には腰が引けていると思われていた司法の場でのこの判決は重く受け止めるべきだろう。
裁判所が違憲と判断した判決の骨子は次の通りだった。
1 公用車を用い秘書を同行しての参拝。
2 強い批判が国内、国外にある中で継続的に参拝したことは特定宗教への支援とみなす。
3 国と靖国神社とのかかわりが社会的、文化的諸条件からみても相当条件を超える。
したがってこれは憲法20条3項違反(「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もし ては ならない。」)であるとの判断だ。
靖国神社はだれがなんと言おうと単なる一宗教法人である。そして小泉さんはいかに強弁しても一私人とみなすことは出来ない。であるならば判決を待つまでもなく本来的に憲法違反の行為であることはサカストでも再々訴えて来たところである。
この裁判の原告は台湾先住民タイヤル(高砂)族出身で、歌手、女優を経て台湾立法議会議員になった高金素梅(ガオチン・スーメイ)さんを団長とする台湾人戦争遺族と日本人遺族188人であり、被告は国である。訴えの中心は「参拝により精神的な苦痛を受けた」ことに対する一人あたり1万円の損害賠償であったから、当然その請求は退けられたものであるが、それはもともと原告も求めていたものではなく、単に司法手続きの問題に過ぎない。
さてここで言いたいことは、小泉首相が度重なる靖国参拝の都度、国のために命を捨てた兵士の御霊に参拝することのどこが悪いとの開き直りに問題があったことである。つまり靖国に合祀された方々の遺族のなかにさえ、それを快しとしない方々がいるという事実なのだ。私個人の考えでも、国のため、あるいは家族のために命を捨てた方々の存在を決して軽く扱おうと言うのではない。問題は明治政府が天皇の名において勝手に作った単なる宗教法人に、本人の意向も聞かず機械的に合祀するという無神経さ、そしてそれを不思議とも思わずに参拝する国民の代表を見過ごす宗教的あいまいさがおかしかったということだ。
まして死ななくてもよい命を、生きて虜囚となるなと厳命されたために死んで行った方々を、命令した責任者と一緒に同じ神社へ祀ってしまう奇妙さを、首相はどう考えているのだろう。
敗戦後60年たった今でも、8月15日の日本降伏の日は誰もが覚えている。しかしその後の数カ月の日本の大混乱は大方の人々が忘却してしまっているようだ。
私の手元には講談社発行の「22、660日の昭和」と題する全18巻からなる昭和史の全集がある。ちなみにその中の昭和20年8月から9月へかけての毎日の記録により当時を振り返ってみよう。
敗戦とともに多くの軍人が自ら命を断っている。軍人軍属合わせてその数600人、階級も2等兵から大将までさまざまであった。8月15日未明それまで戦争を続行すべしと強調していた陸軍大臣阿南大将が「一死以て大罪を謝し奉る」の遺書を残し自刃。第5航空艦隊司令長官宇垣海軍中将は沖縄の米軍艦船に向け17名の部下とともに特攻死、特攻隊創設の責任者大西海軍中将も16日夜官邸で自刃。以後翌年までに陸海軍将官だけでも自決者は37名に達している。
このいずれもが敗戦の責任をとっての自決だ。その中で哀れをとどめたのが開戦時の総理であった東條陸軍大将だ。最高戦争責任者であったはずの彼はなんと9月11日まで自宅におり、連合国軍が逮捕に向ってからやっとピストル自殺、それも下腹部を撃って米軍病院に収容され未遂、戦犯裁判に引きだされたというお粗末さだ。
昔から軍人の最期は切腹、それが潔さだと教え込んでいた張本人がピストル自殺、それも腹を撃つという情けなさだったのだ。この自殺未遂に対する世間の目がいかに冷ややかであったか。
高見順氏の「敗戦日記」には「期するところがあって今まで自決しなかったのならば、なぜ忍び難きを忍んで連行されなかったのだろう。(中略)生きていたくらいなら裁判に立って所信を述べるべきだ。醜態この上なし。しかも取り乱して死に損なっている。恥の上塗り。」と記され、また山田風太郎氏の「戦中派不戦日記」のなかでも「なぜ東條大将は、阿南陸相のごとくいさぎよく死ななかったのか。(中略)逮捕状が出るのは明々白々なのに今までみれんげに生きていて、外国人のようにピストルを使って、そして死に損なっている。日本人は苦い笑いを浮かべずにはいられない。」と罵っている。
敗戦当時を知らない日本人はもう一度このような事実のあったことを胸にとどめるべきである。そしてそのような人物と一緒に祀られることに憤り、恥と思う日本人だって多数いるのだということを重く受け止めるべきである。
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