お天気もお上の言う通りでなければ

榊原烋一 【サカスト】
2005年7月29日(金)寄稿

7月26日、台風7号が関東を襲うというニュース。災害大国日本のいいところは気象予報が誠に的確なことだ。あとは地震の予知が出来ればいいのだが、地球の表面についての学問はずいぶん進んだのに、地球内部のことについてはまず無知そのものと言ってもいいのかもしれない。

では、表面のことと人間が感じること、また、自分で感じることと人様の言うこととどちらを信じるかとなると、日本ではいささか心もとなくなる。

台風は運良く関東直撃コースからはずれ、大したことなく過ぎ去ってしまった。そこで素人はみな考える、台風が来る前には、どこでどんな被害が起こるだろうか。

このことについて日本のテレビほどきめ細かい報道をする国はまずないだろう。海岸で波が高ければ高いほど、風が強ければ強いほど波しぶきを浴びた女子アナが命をはった実況中継をする。実をいうと、関東には来そうもないことが分ってしまってからもなおかつ各地の中継だ、やはりこれは絵になるからだ。

このこと自体悪いことではない、災害は予防に勝る手段はないからだ。したがって地震の予知が今後最も大切な予防になるのだろうけれども、これだけは今のところ絶望的。とにかく震度5くらいで東京の交通機関は麻痺に等しい状況になってしまうのだから。

【サカスト】はそんなことに文句を言っているのではない。日常的な天気予報のあり方とそれを報道するマスコミの姿がおかしいと言うのだ。7月27日のテレビ各社は、台風一過真夏がやって来ました、か、あるいは各地に悲惨なつめあとを残して去りました、の絵を作ろうと待ち構えていたのに違いない。この世界で言う予定原稿だ。テレビはそれを絵として見せなければならないからもっと大変。

案の定、翌日の東京は気温36度に近くなった。夕方以降のテレビは気象庁の発表した気温と合わせるために前もって用意したカメラを総動員。オフィスへ通うサラリーマン、ウーマンの汗を拭く姿、遊園地のプールで水浴びをする子どもの姿、これってすべて予定原稿ならぬ予定映像だ。

たしかに気温はうなぎ上りで真夏日かもしれなかった、しかし、実際の体感気温はというと。

この日私は午後2時頃外出していた、確かに日ざしは鋭かった、けれども何となくさわやかな風が吹いていた。一緒に歩いていた娘、孫とともに、暑いけれどなんか海岸で遊んでるみたいにさわやかだね、と話し合っていた。

その日の夜のニュース、案の定だ。気持ち良いなんて言っていた私ども3世代が申し訳ないと思うほど、どこのテレビも汗を流している人間だらけ。

そして次の日、この日は気温は前日より2度くらい低かったのだろうが、風はない、湿度は高い、近所の人も昨日より暑いですね。ところがテレビはなんの映像もない。気象庁も昨日より暑く感じたはずなんて発表もしない。だからどの局のお天気キャスターも今日の方が暑く感じたはずです、とも言えない。

たしかに気温は絶対だ、しかし同じ30度になっても、風がどっちから吹いたか、湿度はどうだったか、こんなことで人間の体感気温は全く違うはず。だから同じ気温でもビヤホールが満員になるときも、当てが外れてお客が来ないこともある、そこで業者はそれ専門の気象情報を得るために、高い金はらって別の予報を買っている。

マスコミさんよ、国家資格をもった予報士さんたちよ、気象庁はこう言いました、でない独自の予報と事後報道をする勇気はないんですか、とお聞きしたいものです。

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