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榊原烋一 【サカスト】 |
郵政問題で自民党が揺れだした。今期国会も会期終了が迫り、参院での郵政法案の賛否によっては、解散総選挙も視程のうちに入って来た。郵政民営化は国家的には避けて通れない課題であるにもかかわらず、特定郵便局長のもつ組織力や、国家公務員の立ち場を失いかねない郵政労組の双方の圧力で、それを地盤とする一部自民党議員と野党民主党議員も反対運動を起こしているために、今国会の終了までその行方も混沌としている。
本来、日本のおかれた国際的な立ち場を真剣に考えるなら、政治家達が自分の利益だけのためのばかばかしい院内闘争をしている場合ではない。今国会の会期終了は8月13日、すぐ後に8月15日の敗戦記念日が控えている。しかも本年は第二次大戦終結60年目を迎える節目の年に当たる。同時に今年はまた日露戦争勝利から丁度100年目にも当たる。このことは、現在次第に深まりつつある日中、日韓問題の溝にも大きく影響があるはずだ。
この溝はうっかりすれば大きな政治問題、更には国交紛糾の更なる火種にまでなりそうな重大な要素を含んでいるだけに、この夏の日本の政治のていたらくには国民の一人として重大な危機感を持たざるを得ない。
さて各メディアの世論調査によると、郵政問題への国民の関心はそれほど高いとは思えない。その原因はと言えば、法案反対の連中の意見が、近所の郵便局がなくなったらどうするかという極めて日常生活的な低次元の問題を取り上げているのに対し、政府側の説明があまり丁寧でない、特に小泉さんの衆議院における答弁の不親切さが輪をかけて、国民の関心を呼ばない原因を作ってしまっている。
【岸コラ】でもこの問題を再三取り上げているように、350兆円にものぼろうとも言われる国民の膨大な貯金が、官業である郵便局に滞留したままこれまた訳の分らない官業へと流れている現在の金融のあり方を変えなければ、最終的に日本の財政の構造改革は仕上がったとは言えない。また多くの国民が望んでいる官から民への大きな流れがここで断ち切られると言ってよい。これは構造改革を声高に叫んだ小泉さんならもっと勢力的にかつ具体的に国民に向かって訴えるべき責任があったはずだ。しかしこの実情の恐ろしさを知るほどに説明も出来なくなってしまったと言うべきなのか、それならばこの法案は継続審議にして、時間をかけて国民に問うべきであって、好んで政局にする問題ではなかろう。
さて、同じく最近の様々なマスコミの世論調査には面白い傾向が出て来た。それは、もし解散総選挙となったおりにあなたはどの政党に投票しますかとの問いに、民主党へとする意見が自民党へとの意見より多くなる傾向が見られて来たことだ。つまり、国民の間に政権交代への要求が高まる傾向が見えだしている。ここからは日本にも二大政党制の実現が現実味を増して来たと言えよう。ここで公明党が自民党への協力姿勢を変え、更に共産党が当選するはずもない選挙区にまで候補者を乱立する愚を控えれば、民主党政権の誕生も夢ではない。
このようなことが起こるのは国民にとって悪いことではない。政策の可否によって政権が交代する機会があることで政治家の緊張感は増すはずであるし、その影響はやがて官僚にも波及して構造改革の最後の締めくくりとも言うべき官僚独善の体質からの脱却が実現する可能性が大きいからだ。民主党もかなり前からイギリスの真似をしてシャドウ・キャビネットを構成して本気で政権の受け皿づくりをしているのだから、もしこれが実現すれば議員たちにも好ましい変化が起こるはずだ。
さてしかし、かりにそうなったらその先に希望は持てるだろうか。残念ながら【サカスト】の予想では極めて寂しい結果になりそうなのだ。やっと念願の政権についたとたんに民主党内では情けないお家騒動が持ち上がる、そこに出て来るのがどんな場合でも自分の思う通りに行かないと膨れっ面をして飛び出すくせが顔にまで染み付いてしまった小沢なる政治家の存在、これが岡田代表を追い出す画策をはじめる、その後ろにくっついてくるのが鳩山おぼッちゃま、更に旧社会党と民社党の残りかすが起こす勢力争い、これでせっかく獲得した政権の座も内部崩壊で1年も持たない、これが悲しいかな最大野党の現実だ。
こう考えると未来永劫日本の政治が変わる夢は持てない。ではどうするか。今のところこの寂しさの連鎖を断ち切る一つの方策、それは国会議員に定年制をしくこと、しかも思いきって50歳定年制を導入することだ。もちろん時限立法として現在永田町にただ長くいるだけで身内の駆け引きだけを使命とする悪しき伝統を引きずった長老達が与党野党を問わず一掃され、本来の国政を真剣に考えようとする人間だけが国会議員として登場してくる、言うならばそのくらい国民が政治的に成熟した国民となるまでの一時期だけでよいのだ。
こんなことでもしなければ政治家の意識が変わらない、それどころか国民の意識も変化しないということが悲しいけれども現実ではあるという慨嘆になってしまった。
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