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榊原烋一 【サカスト】 |
私が小学生の頃、父はかなり社会主義にはまっていて、改造とか中央公論を毎月購読していた。時々、国を滅ぼすもの、それは商人だ、なんて小学生の私相手に議論を吹っかけて来ることもあった。
今になってみると見方によってはそうも言えるなと感じてくる。もちろん国を興すのも商人かもしれないが、巷で騒がれるような商道徳の頽廃ぶりを見せつけられると、これで日本は大丈夫なのかと気掛かりになる。
今問題になっている橋梁工事の談合事件なんて、まったくひどいの一言だ。世間に名を知られた大会社がこぞって談合に首突っ込んでいるのだから呆れてものも言えない。しかもそこに一枚どころかほぼ中心的な役割を果たしているのが、案の定道路公団OBだ。
もとをただせば、役人と商人とがグルになって国民の税金からうまい汁を吸っていたことになる。こういう手の犯罪にはロシアのユーコス事件ではないけれど、会社が潰れ、当事者は破産するほどの罰金を科す以外には治療不可能だ。もっともロシアの方は権力争いで意味はかなり違ってはいるが、もはや刑罰の重さはあのくらいにしてもいいのではと考えてしまう。
一般庶民はまじめに働いて、まじめに税金納めて、なにも文句言わずにいる間に、この手の人間がその税金を無駄遣いしていることに、国民はもっと怒るべきでしょう。
役人の習性は、いかにして予算を取れる口実があるかしか頭にないかのように思えてならない。たとえば少子化が問題になると、それっとばかりに厚生労働省、文部科学省、経済産業省、最後は潰されそうな社会保険庁までが予算狙いの事業を打ち出す。理屈さえひねり出せばもっと他の役所だって予算を要求する。
もっとも中央官庁の役人なんて予算が付かなきゃやる仕事もなくなってしまうわけだからこれはこれで必死になるのは分からないでもないが、打ち出す業務の内容が予算獲得さえすればあとは成果が上がろうと上がるまいと知らんというようなものばかり。
たまには、ないよりはマシという事業計画もないわけではないが、本質的に少子化対策なんて各省庁がばらばらに対策を考えていればよいという段階は既に過ぎ去っている。ここらで国家全体でどういう方向を目指すのかを国民にはっきりと示さなければ、現在の若者たちは怖くて子どもを育てる気にならない、という段階まで来てしまっている。大げさに言うなら、国家存亡の危機が場合によっては起こりうるくらいの危機感を持つべき問題なのだ。
一時青少年の問題が騒がれた、今でもこの問題は一向に解決したとも思えない。そのときも健全育成と叫ぶ事業をすれば予算が付いたから、やたらどこの省庁も勝手な事業を案出してきた。それが都道府県に降り、更に区市町村に降り、最後は町会にまで降りてくる。
考える人間はばらばらに考えているから、自分の省庁の予算さえ確保すればあとは号令だけかけていればいい、しかし末端で実際に仕事する段階では、たかだか数人の規模であらゆる省庁の要求に答えなければならない、そんなことは到底出来るはずはない。したがって一向に効果も上がらないのが当然だ。これだって今後の日本の国のあり方をめぐる重要な問題であるはずなのに。
同じ論法で言うならあの戦争のときだって全く同様だ。大本営の参謀達が机の上でばかな作戦練って、食糧はおろか弾薬すら補給も出来ないような戦場に一枚5銭のはがきで集めた兵士を送り込んでその大半を戦死させてしまった。だから私は靖国神社が嫌いなのだ。
せっかく国立大学を優秀な成績で卒業した若者も、周囲の環境がこんなものであれば次第に国家、国民のことなど考えなくなってしまう。しかし、考える時間すらもう不足しているという危機感をかれらが真剣に持ってくれなければ、50年後の日本はどうなることやら。
国を滅ぼすものが商人だけでなく役人でもあったなどと後世の国民にうらまれないようにして欲しいというのが、先に死ぬものの願いでもある。
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