フランス行って考えた

榊原烋一 【サカスト】
2005年5月23日(月)寄稿

ドーデの戯曲「アルルの女」のアルルの街を歩く榊原先生(2005年5月)
【岸コラ】主筆の同級生が30年もパリに住んでいる。以前から遊びにこいと招かれていたので、5月8日から5月18日まで、時差の関係で11日間フランスに遊びに行った。途中からスイスに在住の同級生とも合流、本当に楽しい旅というかおしゃべり旅行を満喫して来た。二人ともに女性。

もともと、何が見たいなんて旅ではない、望んだことは、一つ、フランス版新幹線TGVに乗るチャンスが欲しい、次、エッフェル塔の一番高い所まで登りたい、三つ、ちょうど日本語では聖霊降臨というカトリックではイースター、クリスマスについで大事な祝日に当たる日は、パリのどこかの教会でミサに預かりたい、こんないい加減な旅行だった。

私はもともとどこに行って何が見たい、何が食べたいなんて興味はない。そこでどんな人が何をしているのかが知りたいだけ。特に、子どもの頃から鉄道、建築には男の子なりの興味があった。

偶然7年前の全く同じ日に12日間フランスに行ったことがある。この時は巡礼と言って教会ばかり回る旅行だった。ヨーロッパはどこへ行っても教会だらけだ。ま、日本で言えば村の鎮守様みたいなもの。だから、建築とか歴史に興味がなければ、どこにどんな教会があったのか、あとで写真を見たって分からないくらい。

ノートルダムと言うと、日本人のほとんどはパリのシテ島にあるそれを思い出すのが普通だ。しかし、ノートルダムとはフランス語ではマリア様のこと、だからどこに行ってもノートルダムと名のつく教会だらけなのは、日本に来た外人がどこへ行っても八幡様があったと同じで驚くほどのことではない。断っておくが日本人の神様と、一神教社会での神様とは全く別の物ではあるが。

今度の旅行でもそんな意味で私なりの発見がたくさんあった。7年前もそうだったけれども相変わらずパリの交通渋滞はひどい。日本みたいに放射線状にたくさん道路を造ってそれをまん中で環状に結ぶやり方は、必ず渋滞が起こるはずだ。パリの環状線は首都高と比べて車線は倍以上あるが物理的には同じこと。

ただそこで違っていることは運転マナーの悪いことだ。ここであえて言いたいことは、マナーが悪いとは何かということ。他人への思いやりもマナーだろうが、自分の責任において勝手に行動することもマナーだと考えた方がよい。つまり、マナーをわきまえない行動とは他人が眉を潜めることではなく、自分が罰を負うということだ。だから車線変更では互いに譲り合うのではなく、いかに自分が先に入り込むかが勝負。

ただし、事故になったら相手を徹底的に攻める、そのためにこそ調停する人間も必要になる。フランスも日本と全く同じ中央集権国家、だいたい全人口の60%がパリ圏に住むと言う。まるきり違うのが食糧自給率。日本は全農産物を合わせてせいぜい40%、フランスは農業輸出国、食い物に困らない国は鷹揚だ、だから戦争に負けても別にヒステリックに騒いだりしない。例のフランス革命は、農民ですら食えないような専制君主制の国だった時のことなのさ。

帰って来てNHKの国際ニュースを見る、相変わらず最後は世界の子どもたちのくったくない笑顔で締めくくり。そしてまた日中問題、これも靖国が解決しなければいつまでも中国は日本が悪いとわめくばかり。そんな中でマスコミは世界中が建て前の善人ばかり見たいなニュース流して何の役にたつのかだ。

中国を侵略した戦略(あえて戦争とは言わない)責任者が神様になってまつられる、そこに総理大臣が参拝する、これは絶対に国際社会では政治的に理解不能、また相手にとってこんなに攻撃しやすい的を作っていることに気づかない政治家、そして外交官。日本人の中にだって靖国反対人間はいくらでもいるというのに。あれは歴史でも文化でもない、単に100年そこそこの政治の思惑で作られた虚構の産物でしかないのに。

片方では飲酒、居眠り運転で高校生の行列に突っ込んでなん人か死んだとニュースでは伝えている。この手のニュースの取り扱い方もテレビ出現以来一貫して変わらない、友達、家族が画面に出て来て涙を流す、事故現場に花を手向ける、どうしてこんなに情緒的な取り扱いしかできないのか。

戦後何でもかんでも優しいことがいいことだとなって、おとぎ話まで結末は皆仲良く暮らしましたとさ、めでたしめでたし。私の子供時代は違ってた、花咲か爺さんでも、カチカチ山でもだれかがきっと殺されて食われちゃう。グリム童話集なんて殺されない話はないくらいだ。人間なんてそんな善人ばかりのはずはない。

飲酒運転で人を跳ねた犯人は即座に逮捕されました、おそらく飲酒、殺人で懲役18年の刑は間違いないでしょう。これはれっきとした犯罪なんです。

これからはこういう報道姿勢が絶対に必要になる、マナーの問題どころではなくて犯罪なのだから。家族、友人が死んで悲しい以前に、なんでこんなに理不尽な犯罪で殺されたかを憤る人間の本当の姿を伝えてこそ、生きている人間社会を伝える報道になることくらいはもういい加減にわきまえて欲しい。

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