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榊原烋一 【サカスト】 |
事故が起こるたびにPTSD と言う言葉をマスコミは使う。もちろんこれはアメリカの心理学者が使いだした言葉、日本の心理学者はフロイトはもう古い、と今はアメリカ万能。けれども、もともと人間の心理などというものは、その国の文化や歴史にも深く結びついた所があるはずで、人間の心理が科学的にはなかなか分析できないからこそ宗教もあるんでしょう。科学者は、あるいは心理学者はきっといつかは人間の心の動きをすべて解明できる気になっているのかもしれませんね。
今回の関西の鉄道の大事故、まず先に申し上げた通り経営者は自分の会社が社会的にどんな立ち場を持つ会社であるかということに気づかなかった。一人ひとり犠牲者の遺族に立ち向かって罵声を浴びせかけられ、ひょっとすると退職金もなく世間から去らねばならない立ち場になることは事故の1分前まで想像もしていなかったことに違いあるまい。それはこの事故の犠牲者がその朝もいつものように元気良く出かけたと同様だ。しかし一方は加害者、もう一方が被害者だという立ち場は大違いだ。結局人間には明日のこと、いや、1分後のことだってわからないというのが本当なのだ。
組合側もうっかりすれば事故の加担者側になる可能性十分だ。事故が起こった日の最初に労働者代表として出て来た運転士、これは会社の労働過重と非人間的な研修の実態をしゃべった。この人はその後テレビの画面から消えて行った。次、事故当時の列車に乗っていた会社従業員がその場の救出活動に加わらず、出勤してしまった。組合側はこれも会社が出勤時間に厳しいからだと言う。出勤時間がいつでもかまいませんなんて会社があったらお目にかかりたいくらいだ。
この考え方が私から言わせれば大問題だ。法律上の責任問題以前の人間としての問題だから。つまり出勤時刻厳守の労務管理がこんな態度を取らせたと訴えるその非常識さ。同じくこの会社の車掌区の人間が事故当日ボウリング大会を開きその後懇親会までやったことまでが報道されてきた。
こんな事実を見せられると、組合の言う主張にも納得できなくなる。今回の事故の根本原因はこの辺にあったのではないかとさえ考えさせられる、つまり国鉄は民営化されたけれども、民営各社の労使関係はそれほど良好なものとなってないのでは。
さすがに最近の新聞各社は、組合が労働過重だと訴えてもおいそれと記事にはしてくれない、まして出勤時間の締め付けが酷いから救出より出社を選んだなどというばかばかしい労組の言い分など一応声としては出してくれるが後追いもしない。
結果、こういう勝手ないい分を未だ平気で口にする組合が支持する社民党、共産党の票はますます減り、怪し気ではあると思っても他にないと言うことで一党独裁ができあがってしまう、これはイデオロギー的社会主義が日本においては終焉をとげてしまったという証拠であると同時に、健全な民主主義の発展にとっては危機的な姿だ。
どこのどんな社会でも目の前で人間が死んで行くのに出勤時間が大切、それも管理者がそう言ったからなどマスコミの前で発表する人間がいるだろうか。
つまるところは自分たちの権利の擁護こそが大切、こういう論理に知らず知らずのうちに落ち込んでしまっていることが、特に関西系の労組に多い。たしかに不景気になってリストラの嵐の中で勤務は厳しくなったかもしれない。そうなれば経営側もついつい労務管理は締め付けにならざるを得ない。しかし、少なくとも大勢の人間の生命を預かる職業だとの自覚が双方共に希薄なことが気にかかる。
これとは正反対に、労使が仲良くグルになって税金だから使えるだけ使ってしまえとなったのが大阪市の闇手当て、これも人間のあさましさをかいまみせたおろかな出来事の一角だった。
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