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榊原烋一 【サカスト】 |
今時の若い者は、という言葉はピラミッドの中にまで書かれていると言う、実際に見たことはないから真偽のほどは定かではないけれども、年をとればとるほどに、同じ言葉で慨嘆したくなる気持ちは分からないでもないが、自分が過ごして来た若い時代のことを棚に上げて文句を言う風潮にはあまり感心させられない。
今月の文芸春秋誌に石原都知事がまたまた若者のあり方にご立腹のご様子で、なんと27ページにわたって力作を掲載している。その中で御自身の芥川賞受賞作品太陽の季節についての自己弁護をされているのも笑わせられるが、皮肉なことに、当時審査員としてこの作品に絶対否定の意見を述べていた作家丹羽文雄氏がとうとう亡くなられたことからも、世の中の移り変わりの早さをつくづくと思い知らされる。
またまた今時の若い者と言えない事故が起きた。大阪の地下鉄でつまらないことに腹を立てて相手を線路に落とした人間が逮捕されたとのニュースだ。被害者は74歳の老年男性、加害者は37歳の中年男。このニュースを分析してみると、これで日本人は世界の中で生きて行ける民族なのかよ、と寒々とした気分になってしまう。
マスコミの伝えるところによれば事件の経過はこうだ。
被害者、彼は74歳のしかも僧職、これがホーム上の障害者のための点字ブロックのそばに荷物を置いたのを見て、加害者が注意をした。ところが注意した男が去るとまた被害者は元の場所に荷物を置いた、それを見た加害者が頭に来て、被害者を線路に突き飛ばしたというもの。
マスコミの伝える事件とは必ず加害者に罪ありとする一方的なもの。だから皆単純にうなづきはするが、それを読んだからと言ってこの世から犯罪が減るわけでもない。今回の事件も単に加害者が悪いと片付けてしまえないような気がする。なぜならばここには日本社会の中で人々の道徳的なありようが見事に破壊されてしまっている事実を見るからだ。駅のプラットホームに点字ブロックがなぜ設けられたのか、これは障害者の事故を防ごうとする、現代日本特有のいわゆる建て前の人間尊重の設備。このことは一般的な常識を持つ者ならば小学生だって知っているはず。
本当に他人の痛みを感じられる人間なら、本来障害者がホームにいればどういう行動でそれを支えるかを進んで示すはず。それが出来ない人間が多いから施設設備で補っているのだ。とするならばこれらの施設が現在の日本では障害者にとってどれほど重要な意味をもつものか、次善の策としてでもその意味を考えるべきであろう。ところがこの被害者は点字ブロックのもつ意味を全く無視した行動を取る。おそらく自分より年下の男に注意を受けたことが気に入らなかったのだろう。再度申し上げますが、被害者は74歳の、しかも僧職なんですよ。
自分の注意を無視されて憤激したこちら37歳の男、これもまた言葉より先にいきなり相手を線路に突き落とす、そして何ごともなかったかのごとく立ち去って行く。しかしその姿は運悪くも駅の防犯カメラにばっちりと写されてしまった。これがテレビのニュースに流れてしまう。加害者の男も余りに鮮明に写るわが姿を見て、これでは逃れられないと警察に自首した、なんと父親に連れられてだ。37歳にもなった男が警察に自首するのに親について行ってもらわねばならない、これも世界的に見て驚嘆すべき未成熟さだ。
救いとなるのは、事件を見ていた周囲の数人の人が被害者を助けあげようと線路に飛び下りたこと、そして更にホームではとっさに緊急列車停止警報ボタンを押した人物がいたこと。そのために危うく第3者まで巻き込む惨事だけは免れたようだ。
他人から注意されても、しかもその注意が正当であるにもかかわらず応じようとしない74歳の僧職、自分の注意に従わないからといきなり線路に突き落とす37歳の中年。この連中だって、一度や二度くらいは今時の若い者はと嘆いたことがないとは思えないのだが。こんな事実を見せられると、もはや日本の社会とは若者が健全に育つ社会ではなくなってしまっていることが実証されているようでなんとも恐ろしい限りだ。
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