私の敗戦記 (寄り道編)

敗戦記を投稿している間にオリンピックが始まった。開会式の演出はとても素敵、夜の開会式もいいもんだ。光と闇の交錯を十分すぎるほど効果的に使った演出は憎いほど。

3時間ほどをテレビでうっとりのんびり眺めていた。ただ終わった瞬間興醒め、日本製オリピックのテーマソングが流れた。壮大な合唱団の余韻を噛み締めているとたん、なんだこりゃ、ゆずの歌。ま、民放の歌番組ならそれなりに売れるかもしれないけれど、こんな薄っぺらな曲と素人丸出しの声、これを17日間毎朝毎晩聞かされるのか。ただどんないい加減な歌でも朝晩聞かされると取りあえずは覚えてしまう。しかし、終わればすぐ忘れてしまう。

私がオリンピック報道で日本のテレビが使ったテーマソングで傑作だったと思うのは、札幌冬期五輪の「虹と雪のバラード」だけだね。それも2〜3年くらいの命だったけれど。

次、私の大嫌いなナベジョンイルこと読売巨人のオーナー、なべてつ、の退任だ。表面的にはスカウトに現金の授受があった、その責任をとっての辞職ですってさ。かれのこれまでの言動をみて、こんな理由が素直に受け入れられられますか。

かわいそうなのはもらったとされる某大学投手だ。どこのプロチームだって裏へ回ればみな同じ穴のむじな。それがどうして球界の盟主、プロ野球のドンの退任になってしまうの?悲劇の主人公は単にとかげのしっぽ?まてよ、しばらくしたらこの大学生知らん顔で読売の社員になっているのかも。こういう人種は裏に回すのがもっと恐い、表舞台なら勝手なことを言ってる独裁者ではあっても露出されていた。隠れて社会をかき回す存在になればいっそう害毒を流す。

オリンピックと言えば1940年、幻の東京オリンピックだ。その前の1936年、ナチスドイツで行われたベルリン大会、これはそれまでのオリンピック史上、最高最大。これがヒットラー率いるナチスの大宣伝になった。聖火リレーの歴史もここから始まる。同盟国日本選手も大活躍。それを当時の無線中継の雑音だらけのラジオ放送がむしろ臨場感をかき立てた。

「前畑頑張れ」の絶叫調アナウンスだって、この雑音まじりの無線中継の効果が多分にあったはず。小学生の私も夜中に夢中で聞いていた。

もっとすごかったのが、ヒットラーのプロパガンダを報道で担ったレーニ・リーフェンシュタール女史監督の記録映画「民族の祭典」「美の祭典」の2本。特に前編の民族の祭典は映画史上に残る素敵な作品だ。監督の彼女も少年の心をかき乱すような知的な美人だった。政治的理由はともかく芸術的にすばらしかった。

さて柳の下のどじょうを狙ったのが4年後の東京オリンピック、しかもこの年は昭和15年、日本歴史の上では皇紀2600年の大記念行事が計画されていた。オリンピックを利用して国威発揚ができる、これをヒットラーが示してくれた。

東京ではオリンピック開催を目指していろいろ準備をした。私が覚えているのは、つまらないことだが山手線の電車の塗装、それまで省線電車(鉄道省が所有していた国有鉄道の電車線を省線電車という、後の国電、現在のJRだ)の色は錆に強い茶色一色だった。それがなんと山手線がまっ先に上半分クリーム色、下半分が元の茶色に塗り分けられた。今ならあることが当たり前の車内アナウンス用のスピーカーが各車両に付けられた。それも今から考えればお笑いだけれども、天井から四角い、大きさで言えば14インチブラウン管テレビくらいの箱型スピーカーがぶら下げられた。もっともその放送が実験的に使われたと思っているうちにすぐ、日本は日中戦争が拡大、ついに幻のオリンピックになってしまった。

聖火リレーだって、当時のドイツが各地の状況を調査する諜報活動だったと言われ、しばらく中止されたほどの戦乱の時代がここから始まったのだ。

2004年8月15日(日)寄稿

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