またまた黙っていられなくなってしまった。ちょっと前に、子供が子供を殺す事件があった。あのときの犯人は男の子、私はそのとき、ただ被害者のチビが生意気なこと言ってカッとなった男の子が突き落としたと考えた。今でもシンプルにそう考えている。
今回は女の子同士、これも衝撃的だ。とにかく平和で豊かなのが当然と考え、しかもそれはだれか他人のおかげで成り立っている、つまり自分はなにもしなくてもだれかが自分の要求を満たしてくれるのが当然、という社会をつくり出してしまったのはすべて今の大人、そして実際の自分に力のないことを知らずに、肩書きによる権威で事を進めようと考えてしまう官僚、マスコミ、その他もろもろの大人社会の反映が事件の背景に潜んでいる。
敗戦後、日本人は皆、平和は素敵よ、戦争は間違っているのよ、だって戦勝国が言うのだから正しいのよの大合唱。もちろん戦争がいいとか悪いとかなんて議論しても仕方ないことは、以前にも述べたこと。そうではなく、それに過剰反応をする日本人の悪い癖の結果が今の日本を作り上げてしまった。
まず、NHKがはやらせた「よい子の皆さん」の猫なで声、子供は決してよい子ではないのに。出版界も同じ、日本はおろか世界中の童話の全てを「めでたしめでたし、皆仲良く過ごしました」と改悪。もともとおとぎ話、童話の世界は本来残酷さに満ちていた。カチカチ山、舌切り雀、グリム童話などのおおかたは、悪い奴がいい人間を殺してしまうという、人間の持つ悲しいけれども本性の部分を子供達に教えて来たもの。それがすべて仲良しごっこ話に書き換えられてしまった。そして、親達は自分の子供に過ちがあっても、それは政府が悪い、行政が悪いとおかみ頼みになってしまった。
たとえば、子供が池に落ちたのは、柵を作らなかった県が悪いのだ、交通事故が起こるのは横断歩道の整備が悪いなど。自分の子がシンナーの工場へ入り込み。石油缶ごと盗み出し小分けして売って捕まった少年がいた。そのときその親は、子供でも侵入できる所にシンナーを保管していたとして工場を訴えたという事実があった。
こういう場合に本来役所もマスコミも、それはお前の子供が悪いと糾弾する必要があったのに、官僚は責任逃れのために、人の出入りしそうな所にはすべて柵を作る、横断歩道は橋を架ける、それを新聞は美談として報道する、見て御覧なさい、大部分の歩道橋は小学生しか渡ってない。
それにもまして、およそ人間が出来っこないことが分かっても、やたら建て前ばかりの通知、通達、「〜することが望ましい」「〜すべきである」。の通達行政。
今回だって文部科学省はただちに全国の教育行政責任者を集めて、「命の大切さ」「心の教育」の徹底なんて指示を出している。政府に言われると、またそれを金科玉条にして、自分に責任がこないよう、今度は下っ端がそれに輪をかけて厳しい枠を作る。また、そこにちょっとでも隙があれば、鬼の首を取ったみたいに追及する野党、組合がある。かくして、日本の子供たちは、自立する機会を完全に奪われてしまった。
自分の身心を自分でコントロールするために一番大切なのは、小さいときから人間世界に悪や危険が厳然として存在しているんだという事実を経験からも知識からも叩き込むことに尽きる。
小さい子を外国に連れて行って一番先に覚える言葉は、ケンカ、相手を罵る言葉なのだ。木から落ちた痛みを覚えるには、木に上らなければ分かるはずがない。今の子供、いや、大人でさえ戦後の教育で育ったほとんどの人間にはこの経験が希薄だ。建て前だけの行政、報道、そして他人任せの国民、こんな国ではこれからも衝撃的な事件が起こっても仕方がない。
2004年6月3日寄稿
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