ニュースには追い付けない

この原稿は数日前に書いたものだが、デスクトップで眠ってしまっていた。その間に次から次に大事件が起こったもので、投稿しないでいたが、やはりこれも歴史の一つ。遅ればせながら投稿することにした。

星の王子様で日本にもファンの多かったサン・テクジュペリの墜落の機体の一部が発見された。そこでどんな飛行機に乗っていたか。これがアメリカ空軍が第二次世界大戦の頃、誇っていたP-38戦闘機らしい。日本海軍航空隊が世界を驚かせたゼロ戦、これに対抗すべくアメリカが作った、これまた脅威の双胴式戦闘機だ。そのころ軍国少年、というよりも普通の男の子として飛行機に興味を持っていた私は、この戦闘機の出現には目を見張った。とにかく考えられない発想の戦闘機だったから。その後この種の飛行機ははやらなくなったが、まさかサン・テクジュペリがこれで墜落したとは。

話変わって、総理の靖国参拝、ついに違憲判断が地裁段階とは言え司法の場でくだされた。三権分立が厳重に守られる日本なら、これを重く考えるのがマスコミの報道姿勢であるべきはずなのに、先日のニュースでまたまたがっくり。相変わらず、小泉さんは自分の信念と開き直っている。これはこれでかまわない。つまり総理には宗教とか、憲法の理念などより、自分の個人的な考え方が絶対だとしているのだから。以前このページで書いたように一国の政治を預かっている自分と、たんなる小泉個人との区別がつかない点について問題があることが問題なんだ。

ところがマスコミのバカどもは、中国、韓国が反対していることをどう考えているのか、との一つ覚えの質問。だからあっさり自分の国を守ろうとして死んだ兵士に追悼の思いを捧げることに、外国がどうこう言うことがあっていいのでしょうか、とまた開き直る。これは小泉さんの勝ちに決まってる。だって、これまで日本人はいつでも外国の言いなりだと考えている大方の日本人の怨念を代弁してくれるからだ。

本質は他の国がどうこう言うからではない。日本人自身が宗教とはなにか、政教分離の考え方がなぜ必要なのか、との根源的な問いかけに、司法がひとつの判断を示したことの重大さをマスコミ諸君が気付いていないことなのだ。きっとこれから野党の諸君は鬼の首でも取ったかのように総理追及をするだろう。与党の中だって、特に公明党の皆さんこそ、内心では喜んでいるはずだ。

しかし、当分、小泉さんの勝ちはゆるがない。なぜならば、変わるべき他の人間がいないから、これが最大の理由だ。参院選挙のあとがどうなるか、あんまり期待できないけれどもね。

それと、伊勢神宮はいいのに、なぜ靖国がいけない、との小泉さんの反論。これも歴史を知らないおかしな理論。もともと伊勢はその源は天皇家の祖先であるアマテラスをまつってあるとして知られているが、これは明治近代国家の創造にあたって天皇を国家の中心と仕上げるために、それまで代々の天皇が足を運んだこともなかった伊勢に明治天皇の参拝を形式として位置付けた明治政府のしわざ。だから、戦後の日本とすれば、単に天皇家の家族祭祀の一形式にすぎなくなったもの。現在の憲法は、天皇は国民統合の象徴に過ぎないのだから、象徴家のご先祖を崇敬することはあながち憲法にも觝触はしないと強弁してもまあ許される話だ。明治以前の天皇家の歴史からいえば、むしろ仏教を大切にしていた時代が多い。京都には数代の天皇家の墓のある寺すらある。泉涌寺にはちゃんと天皇陵がある。

靖国はそんな状況の中で出来た明治以後の神社、れっきとした宗教法人である。簡単に戦没者の霊に敬意を払う、なんて個人的な信念で総理が参拝するべき存在とは言えないはず。

この辺のいきさつは阿満利麿著「日本人はなぜ無宗教なのか」(ちくま新書・1996年刊)に詳しい。

さて、イラク誘拐事件。これは主筆の意見にほぼ賛成。被害者のご家族の気持ちは痛いほど分かるが、感傷が歴史を動かすことはできない。日本もそしてイラク救援のために働くNGOの皆さんも、この際全力を挙げてプロパガンダに勤めるべきだ。そうしておけば、万一最悪の状況になったときにも、テロ集団の不当さを世界中に喧伝させる重要な転機の引き金になるはずだろう。

2004年4月10日寄稿

この記事の読者数: