ジューベルタンって何?

本当に博物館へ行ったのは私自身の春休み最後だったこともある。今日は私の関係しているカトリック学校の入学式。八王子まで朝8時に出かけ、中央高速をぶっ飛ばして参列。その後、理事長や校長と(いずれもシスター)いろいろと相談することがあって、今帰って来た。午後5時。これからがまた大変、11日の日曜日がイースターなので、今晩から聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日とカトリックでは1年中で1番大切な週間だ。しかも聖歌隊が歌う歌が1年で1遍のものばかりだから、練習も大変だし、毎日夜1〜2時間のミサの間、立ちっぱなしで指揮してなければならない。

そんな中、帰っていつものようにコラムを覗く。するとまた書きたくなるような主筆の文章。クーベルタン、懐かしい。この人の名前を知らない人でも「オリンピックとは勝つことではなく、参加することに意義がある」この言葉、日本人はとても好きらしく、よく使われている。しかしこれはクーベルタンが言った言葉ではないようだ。もとはと言えば、パリでのオリンピックの時らしい。勝った選手がまだ戦っている最中に、負けた選手はやることがない。たまたま日曜日、負けた選手が大勢教会に集まった。そこで司祭が説教の中で負けた選手を慰めるために発した言葉だと言う。これが一人歩きしてクーベルタンの言葉になってしまったそうだ。

私がまだ大森六中の教師だったころ、クラスマッチだったか運動会だったか。クラスから選手を決めるとき、この言葉をまず説明した。その上で、生徒に「勝負とは勝つためにあるのだから、勝てそうな人間を選べ」と一発。そこで生徒が私につけたあだな。それはジューベルタン。まったく子供ってあだなのつけかたがうまいとうなった。クーベルタンの上を行くからジューベルタンだって。

はじめっから参加することに意義があるなんてスポーツマンシップどころじゃない。それにつけても、日本の体育会というのは封建的と言おうか、とにかく縦社会の権化。だからちょっと前まで、日本の企業は体育系の学生をたくさん採用した。なんでもいい、上の人間の言うことを黙って聞く所が好まれたから。

最近の入社式での社長の挨拶では、言いたいことを遠慮なく言う人間になれ、これが増えて来たようだ。たしかに上司の命令を黙って聞いているだけの人間では、今の企業はやっていけないだろう。ところがこれを真に受けて、中間管理職の言うことに反対してみると、とたんに一喝されるのが現実。そして最近の若者は素直じゃないと嫌われる。だって日本の会社の上司にはこれまで言いたいことも言わずに、ただただ忍の一字で過ごして来た人間が圧倒的に多いのだから。

経営者がそこまで分かって、社風を自分の言葉通りに染めあげていければ、その会社はこれからも安泰だろうけれど。

2004年4月8日寄稿

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