4月1日物語

今日から東京メトロ発足、東京の地下鉄の歴史は私の自分史にも重なるので懐かしい。初めて東京に地下鉄が出来たのが私の満1歳の年、浅草から上野まで。私の父は浅草生まれなのでよくこれに乗って浅草まで遊びに連れて行ってくれた。それがだんだん都心に延びて、小学校を終える頃には新橋まで開通。これが早川徳次氏の作った東京地下鐵道という会社。そのあと今度は渋谷から都心を目指した五島慶太氏の東京高速鐵道、これが新橋まで開通。この会社がなんで地下鉄を名乗らなかったかと言うと、御存じのように渋谷駅が地上に作られたためだと言う。だがこれは眉唾ものの説。ところがこの二つの会社仲が悪く、新橋駅は二つが別々、その後戦時中の統合で帝都高速度交通営団にされて駅も一つになり現在の場所になる。今でも虎の門から新橋に向かう右側に目を凝らすと、現在の新橋駅のすぐ手前に昔の渋谷方面行き新橋の駅が見えるはず。そんな歴史のある地下鉄が名称変更。なぜ?こういう話になるとコラム主筆の登場を待たねばならないので、話を変えよう。

今日はまた、国際的にも有名なエイプリルフールの日でもある。私はこの手の遊びが大好き、最近はだます相手が少なくなって残念だ。その中で我ながらうまく行った例をご披露しよう。

第1話

結婚して間もなく、家内の実家の庭に家を建てさせてもらった私は、自分の両親より家内の両親としゃべる機会が増えてしまった。結婚前から妻の家にはよく出入りしていたので、義父も義母も、妻が私をそう呼ぶのをまねて、私のことを「よっちゃん」と呼んでいた。義父は高校から大学までをアメリカで過ごした人間だから、考え方も時々日本人離れした所があった。例えば、妻の家の姓は鈴木と言い、子供は私の妻が一番上で女ばかりの三人姉妹。しかし義父は、鈴木なんて姓は日本から一人でも減らした方がよいと三人とも嫁に出してしまったから、現在死んだ家内の家に鈴木を名乗るものはいない。

その女房である義母も少しばかり戦前の日本人とは違ってジョークが大好き。ある年の4月1日、学校も休みだから家でゴロゴロしていると、夕方義母が妻の所に来てこそこそ話をして帰った。義母が帰るとすぐ、妻は私に「お母さまの所に警察が来て、『榊原さんは今日どこにおりますか、ちょっとお聞きしたいことがあるので』と言ってたんだって」と心配そうな顔。とたんにピンと来た私は妻に「お母さんに『よっちゃんにそう言ったら、青くなってどっかへ出かけてしまった』と言っておいて」と言い残して外に出てしまった。もちろん妻がそのことを義母に伝えると「あれ、今日はエイプリルフールだからだましたつもりだったのに、本当に何かあったのかしら」と義母まで本気になって心配し出したそうだ。(後から妻に聞いた話)

その日、義母の家では午前中から汲み上げ井戸ポンプのモーターが具合が悪くなり、夕方まで電気屋さんが来て修理をしていたのを私は見ていた。外へ飛び出した私はしばらくうろうろして時間を潰した後、ころ合いを見計らって最寄りの公衆電話に飛び込んで義母の家に電話をした。

「こちら、先ほどお邪魔した電器店のものですが、店に帰って配線図を見直しましたところ1ヵ所見落としした所がありました。このままお使いになると漏電して発火する恐れがあります。まことに申し訳ありませんが、他のお宅の修理が終わり次第お伺いしますので、それまではご家庭の電気はすべてお使いにならないで下さい。」

意気揚々と家に帰った私は、妻に真相を打ち明けて二人で夜になるまで知らん顔をしていた。義母一家はその夜遅くなるまで、真っ暗な中で我慢をしていた、それを隣で二人は大笑いしながら眺めていたというわけ。

さて第2話は、N.H.Kまでとばっちりが行った物語だが、これは来年の今日までお預け。

2004年4月1日寄稿

それでも、第2話

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