まったく日本とは面白くて飽きの来ない国だ。BSE騒動でアメリカから牛肉が来なくなったせいで、牛丼屋の売り物がなくなった。すると新聞でもテレビでも大騒ぎ。とりわけすごいのがテレビ。どこかの支店で「あと何人分しかありません」なんてアナウンサーが絶叫して「最後の一人はいつ来られるんでしょう」と店内で残り何人分かとなった牛丼を食べているお客さんを映している。
しかし最後のお客がなかなかあらわれない。それもそのはず、外ではテレビのスタッフが入ろうとする客を捕まえて「食べ終わったらインタビューを」なんてしつこく食い下がってるから。客の方も牛丼は食いたい、けれどテレビに出て恥かきたくもない、と逃げてしまったようだ。しかし世の中には目立ちたがる人間もいて、若い男が意を決してカメラに向かってくれたのでやっと絵になった。
イラクでこれから何が起きるか分からないというのにねえ。
そこで思い出したのが、主筆にもまだ話していない秘話。私はこの有名な吉牛(吉野家の牛丼)を一遍だけ食べたことがある。
50歳前後、私の正式な職名は「東京都教育庁指導部中学校教育指導課主任指導主事」。どうです、肩書きだけでなんと23文字。中身はあっちこっちの学校現場を、言ってみれば眺めに行く仕事。だから企業の営業マンと同様、朝役所に顔出して、午前には八王子、午後は葛飾というように寅さんみたいな浮き草稼業。したがって普通の役人みたいに12時から1時まで昼休みという具合にはいかない。逆に言えばいつでも昼を食べられるということ。あるとき、(都庁は有楽町時代)どうしても10分くらいで昼を済まさねばならない日があったので初めて牛丼を食べた。味は記憶にないが、とにかく早い。席に着いたかと思うとカウンターに出てくる。次の日、また忙しくて今度は交通会館地下のラーメン屋。これがまたすごい。入り口にこの道だけで生きて来たというようなおばちゃんがいて「はい、注文は」と次から次と注文別にカウンターの位置を決める。すると目の前にベルトコンベアみたいなざるに麺が入ったものが流れ、あっという間に熱湯を潜り、どんぶりに落ち、そこへつゆと具が注がれ「へいお待ち」というもの。「お待ち」なんて言ってる暇もない速さ。
この二回の経験で私には哲学が生まれた。おれは養鶏場の鶏ではない、これから定年まで昼飯を何回食えるか、それならば、1000円以下の昼飯は絶対食わないと。ここが矢張り私のsnobbishなところ。昼には普通のサラリーマンならまず入らなそうな一見高級風なお店を選んで入って、おもむろにメニューの中で一番安いものを食べる、これが習慣となってしまった。有楽町だからそんなお店もごまんとあった。そこで発見したのは、お客が恐れをなして入って来ないような高級店でも、昼は結構適当なお値段の店が多いということだ。これって今では常識。昼食にもいかにお客を引っ張り込むかが高級料理店での必須の作戦。
そのパイオニアが、かくいう私だったのだ、と自分で思っているだけか。
2004年2月12日寄稿