建国記念の日って、なぜ今日なのか。もちろん主筆みたいにお年寄りなら御存じだろうけど、神武天皇が国を造られたその日。この日が定められたのは明治5年、ただし建国記念の日ではなく紀元節と呼んでいたけれど。そして昭和15年(1940年)、この日で日本歴史では2600年、これを皇紀2600年としてすごいお祝いがあった、と言うことは今年は皇紀2664年、うれしいではありませんか。当時私は中学3年生。その頃の旧制中学の歴史の先生からは、だいたい一人の天皇が数百年も生きていたことにしないと数字が合わない、なんて教わった記憶がある。しかしどこの国にだって歴史がある、これは旧約のユダヤ民族だって、キリスト教の西暦だって、みんなおかしい。仏教はおしゃか様が亡くなったのがBC500年くらいだし、中国は4000年の歴史。だから文句言わずにその意味を考えればいいのだ。イスラム教は7世紀から。そこへ行くとアメリカはちょっと前に建国200年を祝ったばかり。
ちょっと待って、アメリカにケチをつけるのでもなく、歴史が古ければそれが素敵だと言うのでもない。つまり、意味なくおめでたがっているバカがまだいるということが残念なんだ。今は亡き作曲家黛氏、がこの日に先頭きって騒いでたのが懐かしい。靖国参拝を曲げない総理は、どういうわけかこの日コメントを出さずに官房長官談話でお茶濁した。そんなことで歴史を矮小化しないほうがいいんだよ。
元に戻って、明治5年といえば、そう学制が出来た年。全国に小学校が作られた。大したもんだ。明治維新から数年経って国民すべてが初等教育を受けられるようになったことはすごいこと。ただし当時の人々は、稼ぎ手の子供を学校に行かせることにかなり抵抗があったはず。けれども教育というのは国家にとってやはりすごい国民懐柔の手段になる。
ここで圧倒的にアメリカと日本の学校の違いがある。つまり日本では政府が学校を作ったのに対し、アメリカでは自分たちがネイティブから土地を奪いつつ、そこに子供の教育の場としての学校を、かれらの出身の地であるヨーロッパに倣って作り上げた点にある。
ただ、今は国民国家が一応認められているから、教育は宣伝媒体としてどこの国でもすごい大切な手段になる。フランスなんかやはりすごいね。公立学校でイスラムの衣装着てはいけない、なんて法律が成立してしまうんだから。日本で中国の服着て学校へ行ったら「キャーきれい」と言われるか「あの人おかしくない?」そして最後に文部科学省にお伺いをたてると「それは自由である」なんて結論が出るに決まってる。
あ、酔っぱらった、何を書いてるのか分からなくなった。
ところでNHKで今頃紅白の再放送してる。びっくりだ。ボブ サップに食われたのがそれほど悔しいのでしょうか。やはりエビ・ジョンイル様になってしまったのでしょうか。
2004年2月11日寄稿