今年もこうして暮れるのか

やっと今年最後の投稿ができる気持ちになった。そして来年に持ち越すかもしれない最後の疑問、主筆もきっと解決できないでしょう。それは、皆さん、テレビのCM見てますか?この疑問をだれか解決してくれれば安心して来年を迎えられる。どこかの英会話学校のCM、「彼女は英語でa girl、がんばれば成績もあがーる」。かわいい女の子がにっこり。「がんばらなければ成績も、さがーる」。そしてミニスカートの女の子が落っこちる、そのとき、ミニスカが巻き上がる、そこで見える彼女のパンティの色は何色か。いつも懸命に見ているが分からない、年のせいかと若い子に聞いてみても、いい年して、と相手にしてもらえない。コマ落ちのビデオを作る時間もないこの疑問はどこへ持って行けばよいのでしょう。だれか教えて。

今度は本気で。頭にきた問題、これも解決できないだろうけれど、この投稿でうさばらし。

12月26日の日経新聞夕刊「あすへの話題」の小椋 佳 の文。このコラム欄は結構面白くて愛読していたのだけれど、最近とみに質が落ちて来た。もちろん専門分野のそれぞれ大家が書いているのだから、内容はいい、けれどどうも読んで感激しない。なぜか、文章力が落ちて来た。

それよりも、この文章は内容までひどい。筆者は新しい世紀が平和になるかと思っていた期待が裏切られた、再び戦争。ここまでは事実で問題ない、ではどうするか、ここで私が怒り心頭に発する文章になる。そのまま引用させて頂く。

「イデオロギー対立に代わり、唯一神信仰に根ざす社会間の深い溝が争い事として顕在化しているといえるだろう。」(注、ここは同感。) 次だ。「ここで、この国の選択としては、新たな唯一神信仰社会への道を取ることではむろんなかろう、むしろ信仰は淡い多神教を受容する程度にとどめて、前回述べた言語の復権を成就し(一部略)、人間が社会をなして共に暮らしている事実のみに基づく『理(ことわり)』を、相当な試行錯誤を当然としつつ、透徹した言語による思考を積み上げて創造することだろう。」(注、これ、ゆっくり読んでみて、意味分かる?) 続ける。

「しかもその『理』を担うことで、他者からリスペクトされる幸せな社会を構築すること。その事実によって他者への説得力を持つようになり、深い溝の間に自らをコーディネーターとして位置づけ得るほどになること。曖昧性を喜ぶ国民性からすると、どうやらこれも絵空事に過ぎないと思われる。赤児戻りする還暦男の一つの夢想とお見過ごし願いたい。」(注、これが言語を大切にせよとの論文になるのか)

長い引用で申し訳ないが、銀行員でシンガーソングライターの彼が、論理的にめちゃくちゃな文を書き、それを平気で掲載する、このことがすなわち言語の頽廃以外の何ものでもない。

バッかじゃないこれ。曖昧性が尊ばれるからこその多神教社会なんでしょ。そんなら言葉もいい加減でいい。日本語で簡単に言えることをわざわざカタカナにする、こういう知識人がばっこしてるんだからね。しかも60歳にもなってだよ。

ということで今年も暮れてしまうのか。

2003年12月27日寄稿