身分証明の方が好きだ

身分証明のコラムから、別件で気になったことを投稿させて。

ちょっと驚かされたと同時に、なるほどなとも思ったニュースがある。例のオレオレ詐欺事件。ニュースに出て来た女性はこれはおかしいと思いながら、入金先の口座番号、相手の電話番号まで確かめ、あやしいと確認して警察に届け出た。結果はどうなったか、警察は事件として取り上げてくれなかった、なぜ?まだ被害は何も出ていないのだから詐欺として立件できない。そうなのか、あらためて法律とはそんなものと考えさせられた。ただついでに言うと、警察の犯罪統計は、これははなから信用できない。最近は特に犯罪検挙率が下がったとマスコミにたたかれるから、パーセンテージを上げるためにはどうすればいいか。方法は犯罪数を減らせばよい。そのためには、厳重な治安状況を作る、もう一つは犯罪があっても認めない。前者は人員など予算が莫大に必要だ、ところが後者は届けを受けなければよい。となると、後者の手が使われる可能性は大だ。

これは警察に文句を言っているのではない。警察だって人の子、と言いたいのだ。限られた予算の中で、犯罪は増加の一途、これは必ずしも外国人犯罪だけのせいとも言えない。人口13万のわが武蔵野市で、届けのあった自転車泥棒が1年間4000件をこえる。つまり犯罪が日常化して来ていることを示している。

少年犯罪が猛烈に少ない年がある、それはサミットなど警備に人手が取られた年だ。子供の万引きなどにかかわっていられない、つまり事件が起きてないのでなく起こっても捕まえられない場合なのだ。

かといってほったらかしにしておけば、犯罪は更に増加する。解決の一方策は、刑罰を重くして、やったら損と思わせることだ。千代田区で区の条例で路上禁煙に罰金を科したらとたんに路上喫煙が激減した。たかが罰金2,000円でだ。シンガポールなどはこの手でまことにきれいな街を作った。ニューヨークのBroken windowsの考え方もこれに類する。ただこれを徹底するには、運良く捕まらなかったという状況がないようにしなければいずれ駄目になる、したがって軽い犯罪は民間に任せなければ警察の能力を超えてしまう。現在の警察がまさにそうだ、たまたま交通安全運動中に駐車違反をして罰金払った人間は必ず言う、運が悪かった。そもそも交通安全運動中は道路がめちゃめちゃ渋滞する。なぜ?みんなが法規をきちんと守って運転するからだ。

これは法規が実体に合っていないのではと考える必要もある、車の走る道路で制限速度20キロという所がある。これって違反しない方が珍しい状態だ。でもこの状況はなかなか変えることができないだろう。なぜなら、人間は本来自分に責任がかかるのはいや、かといって明らかに責任逃れをしていると思われるのもいや、だからその免罪符として法律をつくるからだ。とりわけ個人の責任をすべておかみのせい、としたがる日本では。

やっぱり身分証明書の世界の方が住みやすくなるのかも。

2003年12月16日寄稿