主筆がやっとまじめな論説、そして相変わらず興味深い問題を述べはじめたことはうれしい。その間、つまらない個人的な危機のお話を続けて申し訳なかった。考えて見ると、戦争だって大震災だってそれが問題になるのは最終的に自分がそれに巻き込まれるかどうか次第によるのだろう。もちろん、そこで死ななければならない他人がいることを、自分自身のことと置き換えられるほどの感性の持ち主が存在することも確かだし、またそれだからこそ人間の尊さを感じ、生きている意味を考えさせられるのだろう。
ここ数回、つまらない危機を乗り越えた話(最後は本当の危機だったけれど)を続けたが、危機を乗り越えられるにはかなり偶然の力が必要だ。関東大震災の時に我が家は私の祖父の代から東京の下町に住んでいたのに、家族、親戚全員無事、だれも死んでない。(家は焼かれたのも壊れたのもいる)あの大戦争の末期にも、東京しか故郷のない一族だったのに戦死も無し、爆弾の犠牲者も無し。結論としては運がよかっただけ。別に一家あげて心がけのよい人間だったとは到底思えないのに。やっぱり人間には運のよい人と悪い人があるようだ。
話変わって、主筆の書いた西北大学事件、その前の買春事件、私も必ずしも反日感情だけとは思わない。中国の歴史教育では徹底して日本は悪者。国歌でさえ日本をやっつけろ的なものが歌われているのだから、国民の多くは少なくとも親日ではないはず。しかしなんといってもこれは政治的に扱われた問題であることに間違いない。とにかく一党独裁の国家なんだから。それにつけても、日本人の性の取り扱いは最低だ。文化祭であんな下らん寸劇を、しかも恐らく当事者は日本で染み付いた、「ばか」な受け狙いでやったんだろうけど、こんなもので喜ぶ大学生なんか日本以外のどこの国にもいるわけない。
飛行機の中には置いてくれなくなった週刊誌を、いまだに電車の中で堂々と開いているサラリーマンも、大学文化祭でこの手のお笑いで育った連中だ。会社の宴会で酔っぱらってはだか踊りで上司にごまをするバカ、それを見て喜んでいるバカ上司も同様だ。こんな雑誌をおおっぴらに売るなと文句がつくと、マスコミはすぐ表現の自由を持ち出して自己弁護する。言っておきますが、自由には見る自由もあるが、見ない自由もあるんだぞ。こと性に関すれば、どこの国へ行っても売春目的の商売がある。日本より遥かに規制の緩い国、また公認している国だってある。しかし小学生が通学する道にまで堂々とこの種の看板が出ている国はこれまた見たことない。
天照大神が怒って岩屋に閉じこもったのを引きずり出すためにストリップが演じられたという神話以来、日本人は性に対しておおらかと言うか無神経と言うか、とても国際的とは言えない感覚の持ち主だ。これじゃよその国で叱られても仕方ないよね。
2003年11月9日寄稿