少子化問題

本題に入る前にまたまた【岸田コラム】で啓発されてしまった。例の健全なる精神うんぬんのこと私も昔は虚弱児童だったからひとひねりして「健全な身体に健全な精神が宿ればいいのに世の中うまく行かないもんさ」と解釈していた。たしかそんな解釈もあったような気もする。いずれにせよ、人間って自分に都合のよいように思い込むものだと、またまた目からうろこ。

ところでこの「目からうろこが落ちる」、これも国産じゃないね。これの出典は新約聖書の使徒行伝に出てくる外国産。

本題に入ろう。少子化は確かに問題だ、しかも日本では高齢化問題と平行しているからなおのことだ。ただ、私が小学生の頃4年生だったかの国語の最初にこういう文章があった。「大日本、大日本、われら国民九千万は」この文はその前の版では「われら国民七千万は」だったというから数年の間に2000万増えている。この頃の日本は北は樺太の南半分、南は台湾そして朝鮮半島の全部とおまけに植民地的独立国満州まで抱えていた中での9000万だ。

それでも食えなくてあちこちに手を出した結果が敗戦。しかしさまざまな技術の発達で、当時よりはるかに狭いこの国土に現在1億2千万人が飢えもせず暮らしている。となればむしろ人口は多少減った方が好いのかもしれない。そして都市集中型社会から地方分権型社会に移行するという社会変化も起こるべきかもしれない。

少子化、つまり青年層が子供を作らないという事実はどこに原因があるのか。性犯罪が目立って減少しているわけでないから、若者の性欲減退という生理学的問題でもなさそう。若い女性の意識も様々、結婚して子供が欲しいという極めて保守的なものから、結婚も嫌、子もいらないまで、その中間には結婚はしたくないが子供は欲しいとか結婚はしたいが子供はいらないなどさまざまな価値観が自由に行き交っている。それが今の日本のよさでもある。しかし、その底辺にある意識の中にはまぎれもなく子供を育てることの困難な社会環境に対して一種の恐れがあることは間違いないだろう。経済問題、住居問題、教育問題そのどれをとっても現在の豊かな日本の若者にとって、自分の子供世代にはたして自分が受けていると同様の豊かさを与えられるかとの疑問が起こっているはずだ。

貧しい社会では子供は労働力だからたくさん生まなければならないし、その子もそれなりに食って親よりよい生活を夢見る。豊かな社会にはその幻想は既になくなって子供を持つことのリスクにばかり目が向いてしまう。こんなところに法律を作ったところでないよりはましくらいの効果しかない。でも政治家、役人は法律を作ったことで責任を果たした気になっている。あってなきごとき法律は日本にはごまんとあるではないか。近年だけでも男女雇用機会均等法、障害者雇用法など。古く労働基準法のように定着した法制度のもとでも違法残業、サービス残業が横行している。

つまり日本では法遵守の習慣が国民にないことを知りながら責任回避のための法律づくりだけせっせと行っているのだ。

問題の解決法には、モデルづくりも一方法。まず、天皇家がせっせと子供を作る、これはかなり日本社会では効果がある。次に人気あるタレントが続々結婚して子供を作る、そして3人も子供を作ったらコクミン栄誉賞を授ける,まだまだ考え方があるけれど、またこの次に。

(2003年8月11日寄稿)