岸田コラム主筆はうらやましい。中学校時代の日記を持っているのだから。日記とは自分の歴史を客観的にみるひとつのよすが。

主筆がここでこんなもの思い出したのは、長崎の事件からだろう。マスコミはこぞって驚愕している、私も驚かないわけではないがまず被害者の両親の気持ちがまっさきに浮かんだ、もちろん両親のコメントでは法律的には処罰できないとは分かっても極刑を、これが本当の気持ちだろう。しかしこれはどうしようもない出来事、ある意味では天災みたいなところもある。もしあのとき私たちと手を繋いでいたら、もしゲームに行ってはいけないと止めていたらなど。しかしすんでしまったこと。それでは犯人は?恐らく計画的に殺そうとは考えていなかった。ただ、小さな男の子のおチンチンに触ってみたい、このことはそれほど不思議ではない。12歳くらいの男の子が友達と見せっこする例は私たちの頃からもそんなに珍しくはないし、六中の生徒で私に怒られた連中もいた。だれもそんなこと自慢する人間はいるはずない。この犯人はそんな仲間がいないか、あるいは同年輩でそういうことができない性格だったのか。

きっと被害者の坊やはきかんぼうで、そんな犯人に悪態をついたのでは、そこで劣等意識を持つ犯人がカッとなって、というのが私の推理だ。

さてここまでは私の妄想としても。7月11日付けの日経新聞夕刊のあるページのしかも上半分だけの記事。

右上、埼玉県知事の長女の政治資金規制法違反

左上、長崎県自民党県連の違法献金の判決文の一部「現職知事の任期間の公共工事受注実績に応じて割り振るという近世以前のご用金や暴力団組織の上納金を思わせるような強引、露骨な方法」と裁判所。

両記事の間に鴻池大臣の少年犯罪に対する発言「おてんとさんに申し訳ないとか、ご先祖さんに申し訳ないとか、両親が悲しむとか喜ぶとか、そういう教育を皆受けていない、厳しい罰則をつくるべきだ。親なんか市中引き回しのうえ打ち首にすればいいんだ」

さて、だれが一番先に打ち首になればよいのでしょうか。