私も廬大統領のニュース見て、あ、まだこの車使ってんだ。と懐かしく思っていた。さすが皇室、扱いがいいななんて。あれって皇太子(今の天皇)時代にプリンスがプリンスに乗るんだと感心していた。というのもプリンスの武蔵村山工場は見学したことがあったし、いい車作ってる会社との思いもあった。その前身の「たま自動車」そして立川飛行機、これもなつかしい。
時代順に行くと、戦時中、国立音大で学校工場で点火栓用の雲母の選別をやっていたとき、製品をこもだわらに詰めて大八車で運んで行った先が立川飛行機(実はこの会社まだある。多摩モノレールに立飛前という駅まである)だった。次にたま自動車、これはなかなかスマートな電気自動車、三鷹に工場があってよく近所で見かけた。欲しかったけど買えなかった。もっともあのころの電気自動車はバッテリーが弱く、いくらも走れなかったんだろうけど。そしてそれがプリンスへ、考えてみればデザインはよく似ていた。
ところで中島飛行機は富士重工業でスバルになったんでは?戦後飛行機が作れなくなって、余った尾輪を利用してラビットというスクーターを作ってた。これも家のそばにラビットのレンタルがあり乗用車の免許を取った昭和27年車に手が届かなかった私はよく時間借りで利用していた。
このレターは、岸田コラム2003年6月9日の「ロイヤル」に対して寄せられた。
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